”普通”という重圧

どうしたら”普通”になれますか・・・?

表紙に書かれたこの言葉が目に留まり、一冊の本を手に取りました。

 

子供を授かった時、はじめに抱いた願いは「健康で無事に生まれてきて欲しい」でした。

その願いが叶うと次に抱いた願いは、「安全でいて欲しい」、「ご飯を沢山食べて健やかに育って欲しい」でした。

そして子供が幼稚園に通う年頃になると、「まわりの子と同じことが同じようにできるようになって欲しい」という願いへと変わっていきました。

 

みんなと同じでいること。

学校という社会の中で平穏に暮らすには、これがいかに重要なことか、自分自身が身をもって経験したことがあるからこそ「同じである」という”普通”を軽視するわけにはいきませんでした。

 

『あなたを愛しているつもりで、私は-。 娘は発達障害でした』

この本の主人公である夕子は、日々の生活で幼い娘の言動に徐々に違和感を覚えていきます。

そして自分の子が自閉症スペクトラム症(ASD)と注意欠陥・多動症(ADHD)であると診断されてから、この事実を受け止められるようになるまでかなりの葛藤がありました。

 

自閉症スペクトラム(ASD)では対人関係のとり方や興味の持ち方が独特かつ極端で融通が利きにくいこと、注意欠陥・多動症(ADHD)では落ち着きなく衝動的であることや注意力に問題があることが特徴である。

「わかっているのにサボっている」「ふざけている」などと誤解され、しつけの悪さを責められて親が肩身の狭い思いをすることも珍しくない。 *1

 

以前、友人の子供が自閉症スペクトラムと診断されました。

彼女とはよくお互いの子供たちを遊ばせながら一緒にお茶をしていました。

ある頃から、彼女の口から子供がなかなか言葉を話し始めない心配や、はっきり「何」とは分からないけど子供に感じる違和感が語られるようになりました。

初めての子育てで感じる戸惑いや不安感は私も抱えていたので、彼女も私と同じように子供のことが心配なのだろうと思っていました。

あの頃はまだ、今のように発達障害や自閉症と診断される子供たちが身近にいなかったので、彼女の口から自閉症という言葉を聞いてもピンときませんでした。

その後、彼女は旦那さんの仕事の都合で海外へ移住することになりました。

移住先の国では自閉症の子供たちをサポートするプログラムが充実していて、コミュニケーションを取る方法を教えたり、さまざまなトレーニングをしてくれる人が自宅に来てくれていると彼女から聞きました。

「きっと日本だったらそんなサポートを受けることは無理だったね。移住して本当に良かったね」と彼女と話したことを覚えています。

 

いまでは日本でも発達障害に対して治療教育を受けることができるそうです。

たとえば自閉症の場合は、耳で聞くよりも目で見たほうが物事を理解しやすいので、言葉ではなくイラストや文字、写真などを使ってコミュニケーションを取る方法を学びます。

治療教育により問題視される行動が減り、日々の生活を落ち着いて過ごす事が出来るようになっていくので、たとえ障害を持たない子供たちに追いつく事は難しくても、その差が広がらないように少しずつ縮めていく事が可能になるそうです。

 

発達障害のように目に見えにくい障害では、親が徐々に違和感を覚えるようになり、何かのエピソードをきっかけにその違和感が対処すべき現実の問題として目の前に突き付けられる。

このようなストレスにも心のケアが必要なのだが、当事者である親自身が心のケアが必要であると認識しにくく、サポートが難しい。*2

 

子供たちが通う学校という社会のなかでは、どの子も「平均」という物差しで測られる対象になります。

この「平均」の中に上手く収まることができない子は、「あの子は違う子」というレッテルを貼られ、批判の対象になったりいじめの対象になったりします。

そして一度貼られたこのレッテルを剥がすことはなかなか簡単なことではありません。

 

多くの家庭では、お母さんが主に子育てを担います。

そのため、子供が「学校という社会」で受ける評価はお母さんの母親としての評価であり、人としての評価にもなり得ます。

「同じ」であること、「普通」であることに重きをおく学校という社会の中で、自分の子供が「普通ではない」という評価を受けてしまった時、この責任は自分にあるとお母さんは受け止めてしまうでしょう。

「どうにかしてこの子が”普通”になれるようにしなくちゃいけない」という事に心が縛られてしまう。

この思いの根底にあるのは、本当は外から受ける母親としての評価などではなくて、純粋に大切な人を守りたいという思いなのだと思います。

 

子供が幼い頃は、ただ「健やかな成長」を願うだけで良かったのに、子供の成長とともに願うことも複雑になっていきます。

自分の子供がだれかからいじわるをされたり、嫌なことを言われたり、輪の中に入れてもらえなかったりした時、たとえ表面では気丈に振舞っても、お母さんは心の中でわんわん泣いています。

自分が傷つくよりも、わが子が傷つく姿を見ることの方が何百倍も辛いことだから。

けれどもお母さんが忘れてはならないのは、どんなに暗く思える闇の中でも子供たちの魂は光や輝きを放ち続けているということだと思います。

 

物事には必ず二面性があると言います。

光をありがたく感じるのは、闇を経験したことがあるからです。

学校という社会を出ると、今度は「同じ」ではなくて人とは違う才能を求められるようになります。

この世には同じ人間がいないように、得意なことで輝ける場所もひとりひとり異なります。

学校という小さな世界の、狭い幅内にある「同じ」からはみ出てしまった個性が輝ける場所も必ずあると思います。

子供たちがその場所を見つけられるまで、だれよりもわが子を大切に思うお母さんとお父さんにも必要な支えが届くことを願います。

スプルース(フランシラ)のフラワーエッセンスは心が軽くなり、緊張から解放されることを助けてくれるエッセンスです。

家族関係において大きな重圧を感じていたり、学校生活や社会生活でのストレスによる緊張緩和に良いエッセンスです。

親子のコミュニケーションを妨げている原因となっている強いストレス、疲労、オーバーワーク、プレッシャー、重圧などを遠ざけて、心の平和を取り戻せるようにサポートします。

心を軽くし、落ち着きをもたらしてくれるエッセンスです。*3


引用:

*1 2021年 株式会社宝島社 遠宮にけ

「あなたを愛しているつもりで、私は-。娘は発達障害でした」 ページ237/302

*2 2021年 株式会社宝島社 遠宮にけ

「あなたを愛しているつもりで、私は-。娘は発達障害でした」 ページ279/302

*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

「医師が教えるフラワーエッセンスバイブル」 157177ページ

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