小さな種

裏庭ではスペイン語の音楽がなかなかの大音量で流れている。

バーベキューの煙が立ち上り、あちこちから笑い声が上がっている。

ビニールのテーブルクロスが掛けられたテーブルの上には、アルコール度数がとても高いお酒とか、アルミ製の大きな容器にドカッと盛られたさまざまな料理とか、果物とか、デザートなどが所狭しと並べてある。

私のルームメイトのPは私と同じ年のコロンビア人で、私たちは同じ大学に通っていた。

諸々の事情により、Pのおばさん家族やらおじさん家族が次々とアメリカに移住して来て、もう「一族」と呼んでもいいのではないかというほどの数の親族がこの国で暮らした。

そのため、誰かの誕生パーティーやらバーベキューパーティーなどが頻繁に開かれていて、Pに連れられて私もよく参加していたのだ。

今回のパーティーの主催者であるPのおばさんを見つけて挨拶に行く。

おばさんは逞しい両腕を広げて、ぎゅーっと私を抱きしめる。

「相変わらずひょろひょろね。またお菓子ばっかり食べているんでしょう。ちゃんとご飯を食べなさい」そう言うと紙皿を手渡しながら「たくさん食べるのよ」と念を押してくる。

お母さんみたいだと、胸にあたたかさを覚える。

 

小学生のPのいとこが「おい、Miki!」とプールのほうから叫んでくる。

「見とけよ!」と言うと、プールの縁からぴょんっと飛び上がり、空中で一回転して水の中に飛び込んだ。

水から上がって来ると「すっごいだろう!」と得意げに言ってくる。

たしかにすごいけど、それよりもその強めな物言いがひっかかる。

だけど、と思い直す。

彼は「移民の子」としてアメリカの学校に通い、これから先何年も、なんとかうまく生き残っていかなければいけないのだ。

これくらいの強さはやはり持っておくべき資質なのだろう。

 

音楽に合わせてサルサを踊っている人たちもいて、本当に上手だなと見とれていた。

Pの話によると、みんな子供の頃から大人たちが踊っているのを見ているので、自然と踊れるようになるそうだ。

たしかに環境が与える影響は大きいだろう。

だけどきっと「血」だと私は思った。

私の中には明らかにないものが、彼らの中にはたしかにあった。

 

Pの親戚のおじいちゃんが、おばさんや小さな女の子など、相手を代えながら楽しそうに踊っている。

おじいちゃんは冗談を言うのも上手らしく、おばさんたちは大きな声で笑っている。

まるで映画の中の世界のようじゃないかと思う。

日本でこの光景はまず考えられない。

あのおじいちゃんの年齢になって海外への移住はきっと大変なことだっただろう。

それにも関わらず、苦労などをまったく感じさせない、あのたくましいほどの陽気さもやはり「血」なのだろうかと考える。

 

日々の生活こそはすべてのものの中心なのであります。

またそこに文化の根本が潜みます。

人間の真価は、その日常の暮らしの中に、最も正直に示されるでありましょう。

柳 宋悦 *1

 

Pはホットチョコレートにチーズを入れて飲み、(コロンビアの飲み方で、とてもおいしい)私は食後に緑茶を飲む。

冷蔵庫の中では「アメリカでは売ってない貴重なものだから!」と彼女が強く言う、コンデンスミルクを煮詰めてできたキャラメルのようなものの隣に、私の貴重品である高級梅干しが並んでいた。

「コロンビア人だからドラッグを売って生活してるんだろう」と学校で言われたと彼女は冗談を交えながら笑って話し、お店で知らない人から「イエローのくせに」と一方的に理不尽な暴言を吐かれたと私はめそめそ泣いた。

彼女はクラブに行くのが好きだったけど、私は「安全」を約束された場所が好きだった。

物事の捉え方も好きなこともまったく異なる私たちは、外国人として異国の地に存在し、良いことがあった日も嫌なことがあった日も、帰る場所はあのアパートだった。

 

人でも物でも、一度でも出会ったらご縁があったってことだ。

縁っていうのはさ、種みたいなもんなんだよ。

小さくても地味でも、育っていくとあでやかな花が咲いたりうまい実がなったりするんだ。

種のときは想像もつかないような *2

 

彼女も私も大学の卒業を迎え、私たちの「ルームメイト」という名の共同生活も幕を閉じた。

もともとの性格とか、生まれ育った環境とか、受け継いだ文化などが大きく異なる私たちの暮らしの中心にあったものは、きっと『縁』という名の小さな種だったと思う。

この小さな種から芽生えた日々は、幼さと、わがままさと、いい加減さと、葛藤と、「若さ」がゆえに持ち得る強さと、「愛されている」ことを知っているがゆえに持ち得る陽気さに満ち溢れたものだったと思う。

 

いつも凛とした佇まいで、堂々としていて、小さなことなど気にしない彼女は、例えるならば、椿の花のようだったと思う。

椿のフラワーエッセンスを目にすると彼女と過ごした日々が思い出される。

 

 

椿フラワーエッセンスは、堂々とした美しい女性をイメージさせるエネルギーです。

椿の散り際の潔さには、細やかなことにこだわらず、ケセラセラ、なんとかなるさと前向きなイメージがぴったりです。

これまで持ち続けてしまった不要な羞恥心を外すことで、自分に誇りを持つことができるようになります。

流れに身を任せるしなやかさと、揺るぎない自信が、外側に現れる強い魅力につながります。

椿フラワーエッセンスをとることで、自分の人生は自分が主役であることを思い出すことができるようになるでしょう。*3

 


引用:

*1 2024年 株式会社マガジンハウス 『アンド プレミアム2024年9月号』41ページ

*2 2023年 株式会社 宝島社 青山美智子 『月曜日の抹茶カフェ』ページ13/178

*3 2022年 株式会社彩流社 YOKOKO 『「花の波動」で幸せな人生を手に入れる』193ページ

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