もしも過去に戻れるならば
なんだかなぁと心の中でつぶやく。
帰宅ラッシュのバスは、疲れた顔をした人たちでひしめき合っている。
引っ越しをしたあと、新しく決まった職場には駐車場がないためバスで通うことになった。
どこに行くにも自分で運転をして移動することに慣れている私は、バスなんて学生の時以来だなと少々げんなりしたけれど、慣れてみるとなかなか快適じゃないかと手のひらを返したような感想を抱くようになった。
窓の外では街の明かりがびゅんびゅんと通り過ぎていき、私はそれをぼんやりと眺めている。
なんだかなぁともう一度心の中でつぶやいた。
なんでこんなにモヤモヤした気持ちなのか、もっと、しっかり自分の心と対話をするべきなのだろう。
だけど、「なんだかなぁ」から進まない。
いや、モヤモヤの原因を本当はわかっている。
私は10年働いた前の職場に戻りたい。
正直に告白するのであれば、本当はあの仕事を辞めたくなかった。
引っ越しをすると決めたのは自分のくせに今さら何を言っているのだと、自分でも思う。
仕事があることは有難いことだし、私の年齢で再就職先が見つかるなんて本当に恵まれている。
だからこそなおさら「なんだかなぁ」の先にある自分の本音にふれたくない。
家に帰ったらウォルナットとハニーサックルのエッセンスを飲もうと思いながら、イヤホンを耳につける。『imagine if』*1という曲が流れてくる。
もしも過去に戻ることができて、もう一度やり直すことができたならば
もしも人生を映画のように巻き戻せたならば
もしも明日が昨日になるならば
このような歌詞を聴きながら、もしも過去に戻れるならば、いつに戻りたいかなんて分かりきったことだとはっきりと思う。
私は祖母がまだ元気に生きていた頃に戻りたい。
祖母だって聖人だったわけではないだろう。
きっと悩みだってあっただろうし、意地悪な気持ちになったことや、誰かを羨ましく思い嫉妬をしたことだってあっただろう。
だけど、祖母と過ごした時間はいつもあたたかく、私は自分のおばあちゃんが祖母で本当に良かったと子ども心に何度思ったことかわからない。
あるときインスタで、私と同じくらいの年齢の方が、おばあさまのお誕生日のお祝いをしている投稿が目に留まった。
96歳という年齢を見て、私は反射的のムッとすることを止められなかった。
私の祖母だって元気に生きていればたしか同じくらいの年齢だったはずだ。
あぁ、そうかと思った。
本当は、私は祖母にとても怒っているのだ。
どうしてずっと傍にいてくれなかったのか。
どうして私が大人になるまで、また大人になったあともちゃんと元気で一緒にいてくれなかったのか。
どうして変化を受け入れられずにいる私を「大丈夫、みきちゃんならできるよ。一緒に見といてあげるからやってごらん」といつものように励まして、優しく見守ってくれないのか。
祖母が亡くなって、私はうまく息ができなくなるほど悲しみに悲しんで、泣きに泣いた。
私のその姿を見て「おばあちゃんが無事に天国に行けなくなって困らせてしまうから、悲しんで引き留めるのはやめなさい」と母が私を諭した。
自分だって祖母を失った悲しみで、私以上に苦しんでいたのに。
だからあの時は悲しみに力ずくでフタをしたけれど、本当は、私はいい年をした今でも祖母に会いたくて、甘えたくて、私のはなしを聞いて欲しくて、一緒に喫茶店でケーキを食べたくて、だから本当は怒っている。
神様が決めた寿命という名のもとに、私のもとから去ってしまった祖母が恋しくて、私は怒っているのだ。
私が見ないようにしている「なんだかなぁ」の先にある思いはきっとこの怒りだと思う。
家族というものはな、そのなかに、たった一人でも不幸な者がおると、皆が揃って不幸になってしまうという、じつに理不尽な掟で結ばれた者同士のことを言うんじゃ。
逆に言うと、家族のなかの一人が幸せになるためには、他の全員も幸せでなくてはならん。*2
もう実際に会うことは叶わないけれど、私と祖母はいつまでも家族だ。
だって、祖母の存在が今でもこんなにも私の毎日に影響を与え続けているのだから。
『理不尽な掟で結ばれた』祖母には天国でも幸せでいて欲しい。
だから私は「なんだかなぁ」を乗り越えて幸せにならなければならない。
モンガワラタ(オーストラリアンブッシュフラワーエッセンス)
心が弱くて一人では何もできない、現状から抜け出す気力がないなど、否定的な無力感に覆われているようなときに助けてくれるエッセンスです。
人間関係で息苦しいと感じているときにも良く、他人への依存状態から抜け出したいときにも役立ちます。*3
参考:
引用:
*2 2015年 株式会社小学館 森沢明夫 『ライアの祈り』ページ285/371
*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵 『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』143ページ