心で覚えること
1990年代のはじめに一世を風靡したジュリアナ東京。
のちに「伝説」となるディスコが社会現象となり世間を賑わせていた頃、私は中学生でした。
延々と続く田んぼ道を40分歩いて通学するような田舎に住んでいた私でさえもジュリアナの存在を知っていて、それほど世の中の関心はジュリアナに向けられていました。
娯楽施設など当たり前のようにない環境で、放課後の楽しみといえば、いつも一緒に下校する友達グループと帰り道にあるスーパーでお菓子を買って食べるとか、だれかの家に遊びに行って髪の毛をオシャレにアレンジするとか、好きな子の話をするとか、中学生向けのファッション雑誌を一緒に見て、あれが欲しい、これが欲しいと言うくらいでした。
私たちが愛読していたその中学生向けの雑誌でもジュリアナ東京の特集が組まれていて、「憧れる」とか「羨ましい」というよりも、自分が知っている世界とはあまりにもかけ離れ過ぎていて、『現実ではない世界』として私の目には映っていました。
それがいつから、だれから始まったのかは覚えていませんが、学校の帰り道の遊びの一環として、ジュリアナ東京のまねをすることが私たちのあいだで始まりました。
「じゅりあな~とうきょう!」と独特のイントネーションで言うDJのまねをだれかが始めると、テレビでしか聞いたことがないジュリアナテクノをだれかが歌い始め、架空の扇子をヒラヒラさせてみんなで踊り始めるという、本当にしようもない遊びです。
けれどもそんなことを日々繰り返しながら、中学生としての私の時間は過ぎていきました。
ひゅっと自分が息を飲む音が聞こえて、体の内側が急速に冷たくなっていくのがわかりました。
手の中にあるのは返されたばかりの期末テストの結果で、教科は英語でした。
たとえば「緊張で、急に頭が真っ白になってなぜか問題が解けなかった。だけど今、落ち着いて見たら解ける」などと言えればまだよかったと思います。
けれども、改めて問題を見てもやっぱりチンプンカンプンで、返されたテストに赤ペンで書かれてある点数は目を見張るほどの酷さでした。
「おまえ、何点だった?」
隣の席の男子が話しかけてきました。
自分が取った点数に唖然としている私の手元を勝手にのぞくと「うわっ!」と言いました。
「部活やってる俺でさえこの点数だぞ。おまえなんか帰宅部のくせに何やってんだよ」
本当にその通りだと思いました。
いつもなら「うるさい。勝手に見ないで」などと反論したであろう私も、呆れ顔のその子にむかってコクコクと頷くことしかできませんでした。
この点数を見せたらお母さんに怒られるなどという心配はとうに通り越して、このままだと私の人生はどうなるんだろうという怖さで胸がいっぱいでした。
帰り道、友達に英語のテストの結果はどうだったか尋ねると、みんなそれなりに良い点数を取っていることがわかりました。
いくら「ジュリアナ東京!」などとふざけていても、家に帰れば塾に通うなどしてみんなやるべきことを着々とやっていて、その日楽しければそれでいいと根無し草のようにふわふわと過ごしていたのは私だけでした。
改めてまわりを見渡してみれば、隣の席の男子は部活のサッカーに打ち込んでいて、友達のCちゃんは水泳の大会でいつも上位に入っていて、Eちゃんはどんなに大勢の人の中にいても必ず目に留まる美しさがあって、そろばんを習っていたAちゃんは信じられない桁の数字の足し算を暗算でできるし、Kちゃんは情報収集力に長けていて流行にとても詳しい。
中学生という年齢がゆえに粗削りな部分はあっても、みんな人より秀でているなにかをすでに持っている。
そして私がその子たちに対して気軽に「いいな、すごいな、羨ましいな」と感じる魅力的な部分の裏には、必ず努力が隠れている。
それに比べて私はどうだろう。
パッとしない見た目のうえに、隙あらば寝るか本を読むしかせず、そのうえ勉強すら人並みにできなくなってしまっている。
だいたい私は怠け者すぎる。
勉強が嫌だ、面倒くさい、やりたくないと思うのであれば、やらざるを得ない環境に身をおくしかない。
塾に通わせてほしいと母に願い出ました。
家から徒歩10分ほどの所に塾があり、同じ学校の友達はみんなそこに通っていたのです。
子どもを塾に通わせるにはお金がかかります。
入会金はもちろんのこと、教科数によって異なる毎月の授業料。
決まった収入のなかでやりくりをしながら子供のために使うお金は、その子の未来のための投資であり、もちろんお金がすべてではありませんが、お金をかけることも愛情のあらわれだったと今なら分かります。
当時まだ子どもだった私にそんなことが分かるはずがないと思ったのか、子どもが心配するべきことではないと思ったのか分かりませんが、母は「いいよ。通いなさい」と言うと、さっさと入塾の手続きを済ませてしまいました。
いくつかの教科を受講することになったのですが、最初に受けた授業は英語でした。
同じ教科でもレベルによってクラスが分けられていて、ひとつのクラスに大体10人くらいの生徒がいました。
教室にいるのは、みんな同じ学校の子たちばかりで、少し緊張していた私はほっとしました。
ガチャっという音と同時に入ってきた先生の姿を見て、「おぉっ」とつい小さく声をあげてしまいました。
先生の髪の毛は長く、前髪は高い位置にスプレーで固められていて、真っ赤な口紅にボディコンスーツを身に纏い、私がテレビや雑誌で何度もみた『ジュリアナにいる人』そのものでした。
人を見た目で判断するべきではないと思いながらも、本当にこの先生で大丈夫なのかと不安な気持ちになりました。
先生は「教科書の○○ページとノートを開いてください。赤ペン、青ペン、蛍光ペンも準備して」と言うと、てきぱきと授業を進めていきました。
先生は「必ず覚えるべき単語はこれと、これと、これ」、「ここは青ペンで下にS、V、Oと書いてください」と言いながら文法のしくみを説明し、何をどのように教科書に書き込み、どんなふうにノートをまとめるべきなのか事細かく教えてくれました。
大げさな言い方かもしれませんが、授業の間「そうだったのか!」「私、わかる!」という感動が次々と押し寄せてきて、私はきっと今日という日を大人になっても覚えているだろうとさえ思いました。
生きていると幾度かの転機が訪れるものです。
そして人生が動くとき、私たちは必ずだれかと出会っています。
あの塾で、あの先生と出会えたことで私は『わかることの楽しさ』というひとつの可能性に気づくことができました。
心が動けば何かがはじまる
角野栄子
「頭で覚えたことはすぐに忘れるけれど、心で覚えたことは忘れない」とだれかが話していました。
これまでに頭で覚えてきたことも沢山あるけど、心で覚えたことも沢山あります。
あの塾の先生の英語の授業は心で覚えたし、うさぎの“つうやん”が家族になった日のことも、野良猫だった“ジジ”がうちの子になった日のことも心で覚えています。
娘と息子が私の世界に誕生した日のことも心で覚えているし、フラワーエッセンスという『花たちの言葉』も心で覚えました。
だからきっといつまで経っても忘れないのだと思います。
シャンドゥルールでは花音セラピー第7期の募集がスタートしています。
ここで学ぶことはきっと心で覚えることだと思います。
そして心が動き、きっと新しい何かがはじまるきっかけになると思います。
ホワイトスプルース(アラスカンエッセンス)
学習全般のサポートとなるエッセンス。
直感や感性と、論理的思考や計算力がつながるように導きます。
頭での判断と、ハートでの判断を結びつけることで学習能力のアップに役立つほか、学習の妨げになっているものを排除するように働きかけます。*1
ポーポー(オーストラリアンブッシュフラワーエッセンス)
新しい学習情報やアイデアをスムーズに取り入れ、消化できるように助けるエッセンス。
試験前の重圧に圧倒されてしまいそうな感情を解消し、落ち着きと明晰さを持って対処できるように助けてくれます。
即効性があるので、試験の直前に摂るのも良いでしょう。*2
引用:
*1 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵
『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』185ページ
*2 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵
『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』185ページ