鼓動の速さ
私が高校生になったばかりのころ、一匹のうさぎがわが家にやって来た。
この子のことを私と弟は“つうやん”と呼び、つうやんは「一匹」ではなく、家族の「ひとり」となった。
ソファーの上でうとうとしているつうやんの体に顔をくっつけるとトットットットットットッと駆け足のような鼓動が聞こえてくる。
どんな哺乳類も、一生のあいだに打つ鼓動の回数はだいたい同じだと小さい頃に読んだ本に書かれてあった。
体が大きな動物の鼓動はゆっくりで、それがゆえに寿命が長く、体が小さければ小さい動物ほど鼓動が早く、寿命が短いそうだ。
なんて怖い話なんだろうとそのとき思った。
心臓が一拍するたびに、一拍分の寿命がなくなってしまうなんて。
「つうやん」
すべすべとした柔らかい毛で覆われた小さな頭と長い耳を撫でながら話しかける。
「ゆっくり年をとって、元気で長生きしてね」
それから何年も経って、私は高校生でも大学生でもなくなり、社会人になった。
つうやんは白内障で目が白くなっても頑張って生き続けていた。
若い頃にはむちっとしていた体も、撫でると骨ばっているのがわかったし、毛も以前のような艶やかな輝きを失っていた。
庭中をもの凄い勢いで駆け回って遊んだり、庭の至るところの土を掘り返したりするつうやんの姿を見ることもなくなった。
きっと目がよく見えなくなってしまっていたのだと思う。
ソファーの上で日向ぼっこをしているつうやんのまわりで時間はゆったりと流れているように見えたけど、つうやんの心臓は相変わらずトットットットットットッと駆け足で鳴り続けていた。
喉の奥がぐうっと苦しくなった。
一生分の「心臓の音」を使い果たしてしまいそうになっているつうやんの姿を見て、どうして悲しまずにいられようか。
二歳年下の弟は中学生になるとぐんぐんと背が伸び、それに比例するかのようにもの凄い勢いでモテ始めた。
少なくとも私の目にはそう見えた。
たとえば体育祭とかマラソン大会などの学校の行事で、私と同じクラスの女子が「Sくん、頑張ってー!」とだれかのことを応援していて、弟と同じ名前の子が他にもいるのかとぼんやりと見ていたら、目の前を弟が走っていてぎょっとした。
弟の写真が欲しいと私に言ってくる人まで現れる始末で、弟は弟でしかないのに、だれかから異性として見られていることに対する違和感と嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
それと同時に腹立たしさも感じていた。
いつだって人の中に埋もれてしまい、その他大勢のひとりでしかいられない私の気持ちなど弟にはわかるまい。
同じ親から生まれてきたにも関わらず、なぜこれほどまでに不平等なのか。
チッと心の中で舌打ちをした。
この苛立ちと不満の矛先は、当然のように弟と母と父に向けられた。
弟には意地悪なことをたくさん言い、母には心無い言葉を投げかけ、父には拒絶の意思をはっきりと態度で表した。
私は忙しかった、不遇な自分の人生を憐れむことに。
心の中では嫉妬とか怒りとか恨みなどが渦巻いていて、あの頃の私の心の中を色であらわすならば、赤とか青とか黒とか茶色などが乱暴に混ざり合った、救いようのない色だったと思う。
そんな心の色が映し出す現実が美しいものであるはずがないのに。
「たとえば、あと十年生きるとするでしょう。一年に一回、お正月の時に子どもと会うから、そう考えると私があの子に会えるのはあと十回しかないのねと寂しく思う時があるのよ」
以前、職場の上司がこう話していた。
彼女は70代だったけど、とても若々しく元気で、新しいものを積極的に取り入れ、ずっと現役で仕事を頑張るとかねてより話している人だった。
「あと十年だなんて、もっとずっと長生きしますよ」
そう彼女に言いながら、一年に一回しか家族と会えないとはそういうことなのかと改めて気づく。
あれっと思ったら、息子の身長が私を越えていた。
息子は「よし!あとはおじいちゃんとSおじちゃんを越すだけだ」と意気込む。
私は微笑ましく思いながら「Sおじちゃんの壁は高いからなー、頑張って越えていけ」と言う。
娘と息子がどうでもいいことで小競り合いをしているときもあるし、ちゃんと勉強をしなさいと私が息子に懇々と説教をするときもある。
私なりの家事のこだわりについて「ママの変なルールがめんどくさい」と子供たちが苦情を言うときもあるし、娘か息子のどちらかが晩ご飯を作ってくれる夜もある。
毎日が同じように過ぎているように見えるけど、本当は変化が少しずつ、「同じような毎日」に含まれていることに私は気づいている。
少し前に弟が両親に会うために実家に帰っていて、三人で撮った写真をLINEで送ってくれた。
三人とも笑顔で写っていて、楽しそうなのが手に取るようにわかる良い写真だった。
だけど私は言いようのない悲しさに襲われた。
それは私がその写真に一緒に写っていないからではなく、父と母と私と弟の家族四人で毎日をともにする時間はとっくのむかしに終わってしまっていて、その大半の時間を私は怒ったり、恨んだり、傷つけたりして過ごしてしまったことを今更ながらとても後悔したから。
本当はいつだって大切にされていて、大事に育てられて、愛されていたのにどうしてもっと早くそのことに気がつけなかったんだろう。
あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?
伊坂幸太郎
あとどれぐらい生きるのかなんて分からない。
それこそ「神のみぞ知る」だ。
だけど私は子供たちの成長を見守りながら、いつでも一番の味方でいてあげたいから、やっぱり長生きをしたい。
これまでに受けたたくさんの愛情を今度は私が返せるように頑張るから、両親にも長生きをして欲しい。
弟にも義妹にも長生きをして欲しい。
今度弟に会うときは、これまで優しくできなかった日々のことを謝ろう。
私たちはお互いを助け合うために同じ親を選んで生まれて来たのに、弟が一方的に私に優しいだけだったから。
私の鼓動はつうやんのようには早くない。
だけど月日は駆け足のように過ぎていく。
だから大事なことを見落とさないようにしないと。
人生は永遠には続かないのだから。
ユカリはラジオに耳を傾けながら、自分にとっての幸せとはなんだろう、と考えた。
考えたけど、わからなかった。
でも、考える必要なんてなかったのだ。
幸せな瞬間は、いつもこの家にちゃんとあった。
この日々こそが、幸せそのものなのだ。
そのことに、いままでただ気づいていないだけだったのだ。*1
プリムローズ(PHIエッセンス)
人生が思い通りにならないのは、他人のせいだと嘆いている場合に良いエッセンス。
そんなマイナスの思考を生むエネルギーのブロックを取り去り、スムーズに流れるようにサポートします。
自分の人生のドラマは自分で作り上げているという信頼を回復します。*2
人生は不公平で、自分だけが不幸な境遇でかわいそう、と自己憐憫でいっぱいになっている場合に良いエッセンス。
現在の自分は自分の意識が作り出していることに気づかせ、被害者意識を手放し、自分の運命を決めるのは自分だと確信が持てるよう促します。*3
自分への信頼を育み、今の自分をあるがままに受け入れ、愛せるように助けてくれるエッセンスです。
そうすることで、自分自身へのコンプレックスを手放すことができ、自信、生きる喜び、生きる力を強く持てるようにサポートしてくれます。*4
引用:
*1 2023年 株式会社徳間書店 八木沢里志
『きみと暮らせば』ページ243/260
*2 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵
『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』138ページ
*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵
『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』138ページ
*4 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵
『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』134ページ