心に平和を

小学3年生の時のことでした。

朝、学校に行くと教室は新しく来る転入生の話題で持ちきりでした。

私がランドセルを棚に置いていると、近くにいた友達が話しかけてきました。

「ねえ、聞いた?転入生の子、うちのクラスに来るらしいよ」

「男子なの?女子なの?」

「女子だって。どうやら日本人じゃないらしいよ」

誰がどこで、どうやって情報を入手したのかは分かりませんが、先生が転入生の子を教室に連れて来た頃には、私たちはその子に関する大まかな情報をすでに把握していました。

 

Kちゃんという名前のその転入生の子は、イラン人のお父さんと日本人のお母さんを持つ女の子でした。

先生がイランとイラクは今戦争をしていて、Kちゃんたち家族は危険から逃れるためにしばらくの間、日本で暮らすことになったと話していました。

日頃からニュースは天気予報だけ、新聞はテレビの番組表と四コマ漫画しか読んでいなかった私は、戦争が起こっている国がまだ世界にあるのかと驚き、イランという国はどこにあるのだろうとのん気に考えていました。

 

Kちゃんはお母さんと日本語で話すこともあるらしく、簡単な会話なら日本語ですることができたし、漢字は分からなくても、ひらがなは読むことができたので、友達になるのはさほど難しくはありませんでした。

たとえお母さんが日本人だとしても、イランで生まれ育ったKちゃんにとって日本は「外国」だったはずです。

もし私が突然、言葉も文化も違う外国で暮らすことになり、ましてや学校にまで通わなければいけなくなったら、きっと恐怖心でいっぱいだったと思います。

けれどもKちゃんからはそのような素振りは微塵も感じられず、とても堂々としていて、すぐにみんなと仲良くなっていきました。

 

私の家からKちゃんの家は、徒歩1分ほどの距離にあり、お互いの家がとても近かったため、いつの頃からか登下校をともにするようになりました。

Kちゃんには2つ年上のお姉ちゃんがいましたが下校の時間は異なるし、お父さんもお母さんも仕事をしていて、Kちゃんが家に帰る頃にはまだ誰も家にいないため、いつも鍵をペンダントのように首から下げて持っていました。

放課後一緒に遊ぶ「近所の仲良しグループ」にKちゃんも加わり、Kちゃんの日本語はみるみる上達していきました。

そして私にとってKちゃんは、「友達のKちゃん」になり、もう「戦争から避難してきた外国の子」ではなくなりました。

 

ところがです。

ある日、学校から家に帰ってランドセルを置きに自分の部屋へ行こうとすると、自宅の電話が鳴りました。

母が「ちょっと出てくれる?」と大きな声で言っているのが聞こえて、帰ってきたばかりなのに面倒くさいなと思いながら電話に出ました。

すると、電話口の向こうにはKちゃんの声がありました。

Kちゃんは泣きながら早口で何か話していて、何を言っているのか最初はわかりませんでした。

よく聞いてみると、どうやらKちゃんが家に帰ると、玄関の前に何本かの割れた瓶が散らばっていたそうです。

正直なことをいうと、私は、そんなに泣くほどのことなの?と思いました。

瓶が割れることだってあるんじゃない。

そんなの大人がどうにかしてくれるんだから、子供が心配することじゃないよと思いました。

だけどKちゃんは、怖いから今すぐ家に来て欲しいと譲りません。

だけど私もKちゃんと同じ年の子供で、Kちゃんがなぜそんなに怖がっているのか理由は分からないけど、Kちゃんが怖いなら私も怖いと思いました。

困った私は、ちょっと待っててねとKちゃんに言うと、電話を切らずに母にそのことを話しました。

母は、玄関の前に割れたものが散らばっているのは危ないし、怖がっているKちゃんをひとりにさせるわけにはいかないと言い、母と私でKちゃんの家に行くことになりました。

 

「もしかしたら、風で瓶が倒れて割れちゃったのかもね。ひとりで怖かったね。すぐに片付けるから大丈夫よ」

もう泣いてはいなかったけど、強ばった顔のKちゃんを安心させようと母がそう言うと、Kちゃんは小さく頷きました。

母が片付けていると、Kちゃんのお姉ちゃんが学校から帰って来ました。

母は、このまま子供たち二人だけで留守番をさせるのは心配だと言い、Kちゃんのお母さんが仕事から帰って来る時間になるまでふたりとも私の家に来ることになりました。

あの頃はまだスマホもLINEもなく、「ただ連絡を取ること」が今のように簡単にできない時代だったので、母がどうやってKちゃんのお母さんに連絡を取ったのかは、当時子供だった私には分かりませんが、母が夕飯の支度を終える頃、Kちゃんのお母さんがふたりを迎えに家に来ました。

Kちゃんはそれまで楽しく遊んでいたのに、お母さんの顔を見ると、わんわん泣きながらお母さんのもとに駆けていきました。

 

私は、ああ、そうだったのかと思いました。

きっとKちゃんはこれまでに、私が知らないたくさんの「恐怖」を経験してきたのだろう。

だから「瓶が割れている」ことに対する意味の重さが、私とKちゃんでは違ったのだろう。

「それぐらい」って思ってごめんね。

 

母はKちゃんを安心させるためにあのように言ったけど、実際にその場に行ってみたら、風が吹いたくらいであんなふうに瓶が割れるはずがないことは私ですら気がつきました。

もしかしたら誰かがわざとやったのかもしれないと思うと、心の中で嫌な気持ちがどんどん広がっていきました。

 

学校で七夕集会が行われました。

全学年の生徒が集まった体育館には、沢山の短冊をつけた七夕の笹が飾られていました。

短冊には願い事を書いた人の名前は書かなくてよかったので、みんな好き放題なことを書いていました。

その中でつい目を留めてしまう願い事を見つけてしまいました。

 

「せんそうが はやく おわりますように」

 

これはきっとKちゃんの短冊だと思いました。

その近くにあった「犬がほしいです」とサンタクロースへのお願いの手紙と勘違いしたような自分の短冊を見つけて、自分と彼女の違いはこういうところなのだろうと子供心に思いました。

Kちゃんは、まだたったの10歳なのに「戦争」という私が理解できない苦しみを抱えながら生きている。

 

戦争が、それに巻き込まれる人たちの人生に強いる犠牲は、いつの時代も、だれにとっても重たすぎる。

 

これは何十年も前に私が友達だったひとりの女の子のはなしです。

きっと戦争を始めた人たちは、遠く離れた外国の小さな田舎町で暮らす子どもにまで影響を及ぼしていたことなど知らなかったのかもしれないし、たとえ知ったところで、それぐらいの小さな犠牲は致し方ないと思ったのかもしれないし、もっと大きな犠牲は沢山あったと何も思わなかったのかもしれない。

だけど私は思う。

子どもはあんなに沢山の傷と影と涙と恐怖を抱えながら大きくなっていいわけがない。

 

世界平和のためにできることですか?

家に帰って家族を愛してあげてください。

マザーテレサ

 

私は何者でもない、ただのひとりのお母さんで、難しいことはよくわかりません。

だけど、世界中の子供たちが「平和」の中で大きくなっていって欲しいという願いを持っています。

だからこそ、まず私がするべきことは自分の心を「平和」に保つこと。

だって「平和」は伝わっていくものだと思うから。

 

ピース(インディゴエッセンス)

ジョシュという少年が、数年前にチャネリングでこのエッセンスをつくりました。

ハートで平和を感じやすくするエッセンス、と彼は言いました。

3次元の古いエネルギーが去っていくにつれ、多くの闇が光のもとにさらされ、私たちを怖れのエネルギーに沈めておこうと戦争や恐ろしい出来事が引き起こされます。

このエッセンスは、私たちが平和のエネルギーを放てるようにします。

それによって、周囲の人々のエネルギー場に前向きな影響を与え、平和と愛のある形で自分自身の地歩を保ち、紛争のエネルギーに引き込まれないようにします。*1

 

バブルオブラブ(インディゴエッセンス)

チャネリングでできたエッセンスで、慈悲と強靭さという昔のアイルランドの女性性エネルギーを含んでいます。

不足や欠乏、闘い、そして対立といったエネルギーを手放し、自分のエネルギー場に愛や安らぎを取り込みます。

それは、私たちが生まれながらに持つ権利です。

この移行期においては、愛のエネルギーを自分のエネルギー場に保つことで、自分だけでなく周囲の人々にとっても、どんな紛争が生じようともハートに留まりやすくなります。*2

 


引用:

*1 2021年 ネイチャーワールド株式会社

『大自然からの贈り物 こころと体を癒す世界のフラワーエッセンス』373ページ

*2 2021年 ネイチャーワールド株式会社

『大自然からの贈り物 こころと体を癒す世界のフラワーエッセンス』372ページ

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