わかりたい気持ち
子供の頃から数字が苦手でした。
「算数」は理解ができても、それが「数学」に変わってしばらく経った頃には、なんとか取り残されないように息切れしながらついて行くのが精いっぱいで、ただの「苦手」が「大嫌い」へと変わっていきました。
そうはいっても、テストや入試があるため、数学の勉強を完全に諦めるという選択肢などありません。
どうして複雑な計算や証明問題の解き方を学ぶことが、私の人生に必要なのだろうといつも思っていました。
たとえば、国語や英語や歴史や倫理などの科目にはいつも物語があり、そこにはだれかの人生や自分が知らなかった世界のことが描かれていました。
だからこそ色や温度が感じられ、私が吸収するべきものが沢山あるように思われました。
けれども数学だけはどれだけ長く付き合っても、いつも無機質で冷たく感じられて、結局一度も好きになることはないまま学生時代を終えました。
自分が親という立場になり、子供たちから「どうして数学を勉強しなくちゃいけないの?」と訊かれることがありました。
その度に自分が子供の頃に幾度となく言われた当たり障りのない答えを同じように口にしていましたが、本当は私もその答えを知りたいと思っていました。
どうして取り組む意義を見出せないほど嫌いなものと関わり続けなければいけないの?
ところがある日、私はついに見つけたのです。
この長年の問いの答えが久米絵美里さんの著書である『言葉屋⑥ 裏方たちとおもてなし』に綴ってありました。
「買いものでお会計の勘定ができる以上の数字が、人生に必要な理由が、全然わからなかった。
だから数学が苦手だったのかもしれない。
わかりたいという気持ちが弱かったから。
でも井上くんから、世界が数学でできてるって聞いて、数学を見る目が変わったの。
数学をつかえば、自然の中にある不思議なことにも法則がちゃんとあるってわかること、それが人間の生きる知恵につながること、それに、昔から橋や運河の建設には数学が絶対必要で、数学が人間の社会をつくってきたんだってことが、やっとわかった。
そしたら、今まで灰色にしか見えなかった数学にちゃんと色がついたの」
数学の意義を知れば知るほど、詠子は身のまわりのすべてに、いろいろな色の数字や記号が流れているように感じられるようになった。
空にも雲にも、木にも花にも、鳥にも人にも、壁にも床にも机にも、存在するすべてのものに数学が血のように流れている。
そして、その数学をつくっている数字は、どれも決して無機質でなく、むしろとても有機的なもののように見えた。*1
英語で好きだなと感じる言い回しのひとつに”see things in a different light”というものがあります。
『違う角度から光を当てて見る』というこの言葉には、『違う観点から物事を見る』という意味があります。
嫌だと感じる物事や状況にはできるだけ関わりたくなくて、どうにか避けられないか、上手く排除できないかと考えてしまいます。
けれどもそうしようとすればするほど、「嫌だと感じる気持ち」が心の中を流れている感情の川の底にどんどん溜まっていき、結局、流れをせき止める原因となってしまいます。
このような時、きっと必要なのはその「嫌だと感じる物事」に違う角度から光を当てて見ることなのかもしれません。
どんな物事にも、そこには受け取るべきものが必ず隠されていると言います。
私があんなに嫌いだった数学にも「人間の生きる知恵」という側面があることを子供の頃に知ることができたなら、私の中にも「わかりたい」という気持ちが芽生えたのではないかと思いました。
以前、心の中にあるモヤモヤがあふれ出してとても不快に感じている時がありました。
どんなに排除しようとしても収まることのないこのモヤモヤは、体調にまで支障をきたし始めていました。
一体私はどの角度からこの物事を見れば、この状況を乗り越えられるのだろう。
そう思い、一度立ち止まって考えてみることにしました。
これまで私は、嫌だと感じている状況に「この状況のせいで」という側面に光を当てて見ていたのですが、それを「この状況のおかげで」という側面に光を当てて見てみようと思いました。
「この状況のおかげで」学べたこと、良い方向へと変わるきっかけになったことなどをどんどん書き出していくうちに、あんなにざわざわと騒がしかった心の中が静かになっていきました。
どんなに嫌だと感じる出来事や辛い経験も、イヤだイヤだと遠ざけようとせずに、「わかりたい」と歩み寄ってみること。
そうすることで、それが本来果たすべき役割に気づくことができるのだと改めて実感しました。
デイゴフラワーエッセンスは視野を広げ、客観的に物事を見ることができるようにサポートしてくれるエッセンスです。
思考や視点がスッキリとクリアになるように助けてくれるので、物事を俯瞰して見られるようになります。
自分が決めた「ひとつの狭い観点」から物事を見るのではなく、さまざまな違う角度から光を当てて見ることを可能にしてくれるので、どのような物事に対しても、それが本来果たすべき役割に気づく助けとなるでしょう。
引用:
2019年 朝日学生新聞社 久米絵美里
『言葉屋⑥ 裏方たちとおもてなし』位置No.1227/7241