《幸せの流れ》に意識を向ける

小学校4年生のことでした。

国語の授業で絵本を作ることになりました。

画用紙を使って、全部で5ページくらいの絵本にするように先生から言われました。

「えーっ」とみんながブーブー文句を言いながら嫌がっている中、私は、楽しそうとひとり密かに心を躍らせていました。

いつもは早く授業が終わらないかなと時計ばかり気にしているのに、絵本の制作が始まってからは、国語の時間があっという間に過ぎてしまいました。

なんといっても、たったの5ページで書きたい話をすべてまとめなければいけないのです。

寝ても覚めても絵本のことばかり考えていて、家に帰ってもどうやったら話を短くまとめられるのか、ああでもないこうでもないと考えあぐねていました。

そして完成させたのがクマの子の話でした。

もうずいぶんと昔のことですが、このような話だったと記憶しています。

 

クマの子が川のそばを通りかかると、川の精霊のおじいさんと出会い、ふたりは友達になりました。

そしておじいさんはクマの子にこう話します。

生まれてからずっと川の底で暮らしているから、知っているのは川の中で暮らす魚たちや石ころや水草たちのことだけ。

だけど本当は山の中に咲いている花々を見てみたいんだよ。

季節が変わるたびに山の色が変わっていく様がここから見えるけど、あの花たちはいったいどのような姿をしているのだろう。

おじいさんを喜ばせたいと思ったクマの子は、山から沢山の花を摘んできて、おじいさんがいた川に戻ります。

けれども、おじいさんの姿はもうありませんでした。

しかたがないので、摘んできた花を川に浮かべていくと、川がキラキラと輝きだして、きっとおじいさんが花を受け取ってくれたのだろうとクマの子は嬉しくなりました。

 

今思うとおかしな箇所が沢山ありますが、当時の私はこの絵本作りに一生懸命取り組んでいました。

鉛筆で薄く下書きの絵を描き、絵の具で色を塗って、なんとか締め切りの日までに完成させることができました。

作った絵本は、ただ先生に提出するだけだと思っていたのに、「せっかくなので、みんなの前で発表しましょう」と先生が言い出しました。

イヤだ、イヤだと教室中がざわつきましたが、そんなことで先生の意志は変わりません。

結局、座席順に一人ずつ発表することになりました。

問題なのは、クラスにとても意地悪な男の子がいたことでした。

順番に発表される絵本について、先生がクラスの子供たちに感想を求めるのですが、その男の子は自分の友達の作品以外は酷評し続けました。

ついに私の番が回ってきました。

自分の席で立って教科書の音読をさせられる時と違って、先生の教壇の前にひとりで立つと、人数がまるで5倍ほど増えたかのような圧迫感を感じました。

それでもなんとか発表を終えると、先生がクラスに感想を求めました。

案の定、あの男の子がニヤニヤしながら手を挙げ、「この話は変なことばかりだと思いまーす」と言いました。

そして、変だと思う箇所をバカにするように面白おかしく指摘しました。

 

本当にイヤな奴だ。

この子の前で発表するとわかっていたら、もっと無難な話を作っていたと思う。

 

恥ずかしさと、なんでこんなバカみたいな話を作ってしまったのだろうと自分に対する腹立たしさとで顔を真っ赤にさせながら私は席に戻りました。

 

それから何人かの発表が終わり、ある女の子の番になりました。

その女の子に対しても、あの男の子は容赦しませんでした。

けれどもその女の子は、まっすぐに男の子のことを見据えると、「ていうか、なんであんたなんかにとやかく言われなきゃいけないの。あんたが作った話なんか幼稚園以下じゃん。なに偉そうにベラベラと意見してるわけ?」と言い放ちました。

私は彼女の断固とした物言いにうっすらと感動すら覚えながらその様子を見ていました。

男の子は「うるせえ!黙れ!」とドラえもんに出てくるスネ夫のように口を尖らせながら烈火のごとく怒っていました。

こんなに怒っているのだから、彼なりに多少は傷ついたのだろうと思いました。

だけど、教室中が彼の「悪意」という毒で満たされているなかで、「あんたなんか」や「幼稚園以下」という批判の言葉は取るに足らない事のようにも感じられました。

それから少し前に本で知った言葉を思い出していました。

 

目には目を 歯には歯を

敵である相手には同等の痛みを

 

だけど相手も同じように傷ついたとして。

だからといって、私のこの痛みや嫌な気持ちがなくなるわけではない。

ではどうすればいいのだろう。

その答えがわからないまま、私は心の中で祈りました。

 

「神様、どうかお願いします。来年はあの男の子と違うクラスにしてください」

 

けれども、それから5年生になっても、6年生になっても彼とは同じクラスのままでした。

学年全体で4クラスあるにも関わらず、どうしてこうも毎年同じクラスにならなければいけないのか。

 

私の学校生活に彼はいない方がいい。

 

それなら、サラ、この町から出ていった方がいいと思うよ。

ある場所や状況の中に悪いことがあるからという理由でそこを去るなら次の場所に行っても、ほとんど同じことが起こるってことなんだ。

君がやるべきことは、君が望んでいるものだけが存在する完璧な場所を探し出すことではないんだ。

君がやるべきことは、君の望んでいるものをすべての場所に見つけ出すことなんだ。

不快な状況を見ていて、それが君をいやな気分にさせている時、君がそのいやな気持ちを感じているということ自体が、その時点で君が《幸せの流れ》につながっていないということを、君に教えているんだ。

現在の状況について意識するよりも、自分と《幸せの流れ》のつながりをもっと意識しなくちゃいけないんだ。

《万事良好》の流れという、常に着実に流れている不変の流れがあって、それはいつでも君に向かって流れているんだ。

君がいい気持ちを感じている時、君は《万事良好》の流れを流れ込ませている。

いやな気持ちを感じている時は、《万事良好》の流れを流れ込ませていないんだ。

だから、《万事良好》の流れにつながったままでいるための秘訣はこうだ。

君の望まないことを素早く突き止めてから、その後はすぐに君が望むことに注意を向け直して、それに対して「これがいい!これを望む!」と思えばいいということ。

これだけだ。*1

 

どうすれば本当に幸せになれるのか知りたいと子供の頃から思っていました。

良いことと悪いことがごちゃ混ぜになっている人生は混沌としているように感じられて、良いことだけに囲まれて暮らしたいと思っていました。

けれどもそのような世界で暮らすことは実際には不可能です。

だって生きていると色んなことが起こるものだし、世の中には色んな人がいて、自分と気が合う人もいれば、そうでない人もいるものだから。

けれども、どんなに嫌な経験も、そこから何らかの気づきを得て、学びを広げるチャンスだと今なら、以前よりは思えるようになりました。

たとえどんな人と関わることになったとしても、自分が向けている意識さえ変えることができれば、相手や状況を変えようと躍起になる必要はないのだと、子供の頃の自分に教えてあげられたらどんなにいいことかと思います。

 

バンチベリー(アラスカンエッセンス)

自分がどのような状況下で、どのような人たちと関わりながら生きなければいけないとしても、自分が集中して取り組むべきことを見失わずにいられるように助けてくれるエッセンスです。

他者からの影響で感情がかき乱されることから抜け出し、その結果自分自身が集中するべきことがハッキリと見えてくるようになります。*2

《幸せの流れ》に繋がるために、自分が向ける意識の方向がポジティブなものであり続けるように助けてくれるエッセンスです。

 


引用:

*1 2016年 株式会社マガジンハウス

『an・an SPECIAL あなたの願いを叶えましょう!「引き寄せの法則」で幸せになる。』 36・37ページ

*2 2021年 ネイチャーワールド株式会社

『大自然からの贈り物 こころと体を癒す世界のフラワーエッセンス』 272ページ

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