はじまりの季節
春休みが明けて、新学期が始まりました。
春は多くの人たちにとって沢山の「はじめて」が始まる時です。
初めて友達になった日
初めて一人で歩いて登校した日
初めて部活に参加した日
初めて子供をスクールバスに乗せて送り出した日
初めて親元を離れて一人暮らしを始めた日
書き出せばきりがないほど沢山の「はじめて」が多くの人たちの人生に溢れかえります。
この「はじめて」には不安や緊張に負けないくらいの期待や希望が鈴なりに花を咲かせています。
毎朝、子供たちを学校に送り出した後、洗濯物をベランダに干します。
掃除機をかけながら、ふとベランダに目を向けるとやわらかい風にはためく洗濯物が目に留まります。
掃除機をひと休みさせて、しばしこの光景を眺めることが好きです。
布は人の感情を吸い取るものだと祖母が話していました。
だから毎日洗濯をするのだと。
洗濯をするということは、衣類についた汗や汚れだけでなく、その日一日感じた様々な感情もきれいに洗い流しているのだと。
「今日」という一日を自分の望み通りにコントロールすることは至難の業です。
どのような形であれ、自分以外の人たちと関わりながら生きていく以上、いい日もあれば、そうでない日も必ずあります。
汗と涙と、喜びと悲しみと、笑顔としかめっ面と。
すべてを受け止め、吸い取ってくれた洋服や制服や部屋着やパジャマ。
それらが綺麗に洗濯されて、洗剤や柔軟剤の香りをほのかに漂わせながら風にはためく姿を見つめながら思いました。
私たちはどうして沢山の「はじめて」を、当たり前のように忘れてしまうのでしょうか。
人間の心というものは、足しても足しても満たされないものです。
もっと、もっと、を追いかけてしまうと、暗闇の中に入ってしまうのです。
大切なものが見えなくなってしまうのです。*1
目に見えるものだけを見ていたら、目に見えない大切なものが感じられなくなってしまいます。
しかし、確実に、目に見えないものが、目に見えるものを、コントロールし、左右しているのです。*2
去年の今頃、どうしようもない腰痛に悩まされていました。
立っていても、座っていても腰が痛くて、靴下を履くのも、寝返りをうつのも一苦労でした。
人は痛みが出て、やっとそこに何らかの不調があることに気づきます。
本当はもっと前から違和感があっただろうし、もっと前からこの不調は始まっていたはずです。
心だって同じです。
心はいつだって私たちに話しかけているのに、「現実」としてなにか問題が表面化するまで、心の声は重要視されません。
心の声にこそ、私たちが求めているすべての答えがあって、心の声こそが私たちが耳を澄ますべき相手なのに。
たとえそれが家族であっても、友人であっても、クラスメイトであっても、同僚であっても、「初めて出会った日」が必ずあります。
私たちは、その人たちと様々な関係を築いていくなかで、上手く育むことができる関係もあれば、痛みを伴いながら現実として向き合わなければいけないものへと姿を変える関係もあります。
たとえ「はじめて」が目にも留まらぬ速さで過ぎ去ってしまったとしても、「はじめて」が私たちの心に運んできた初々しいあたたかさを思い出すことが、こじれた関係の修復へと繋がることもあります。
だれもがだれかの人生を明るく照らす太陽になりたがる。
でもどうして月ではダメなの?
月はだれかの人生が最も暗い時に光をもたらすものよ。*3
月の光によって作られたサネンフラワーエッセンスは浄化力に優れたエッセンスです。
心の状態や思考をクリアにしてくれるため、混沌とした状態から抜け出すサポートとなります。
一日の終わりに摂ると、その日に感じたさまざまな感情をクリアにしてくれます。
また、洗濯の際に使用すると、衣類が吸収したさまざまな感情もきれいに浄化してくれるでしょう。
引用:
*1 2017年 株式会社青春出版社 ちこ
「食べるだけで幸せになる いのちのごはん」42ページ
*2 2017年 株式会社青春出版社 ちこ
「食べるだけで幸せになる いのちのごはん」44ページ
*3