グリーフリリーフ

お好み焼き屋さんで食事をしていた時でした。

私たちより少し後にお店に入ってきたのは70代くらいの女性と大学生くらいの女の子でした。

きっとおばあちゃんと孫娘なのだろうと思いました。

二人は私たちの座席の斜め横の席に座り、テーブルの鉄板が発しているゆらゆらと立ちのぼる熱気とジュウジュウとお好み焼きが焼ける音に混ざって、楽しそうに会話する二人の姿が目の端に映りました。

 

祖母とふたりで出かけていた日々のことが二人の姿と重なり思い出されました。

懐かしさと、悲しさと、寂しさと、後悔と、祖母のお化粧の香りが混ざり合うことなく胸に溢れてきていたたまれない気持ちになりました。

もう二度と私がふれることができない幸せを持っている、目の端に映っている二人のことを羨ましく思いました。

 

祖母とふたりきりで出かける機会がぐっと増えたのは、私が高校生になってからでした。

高校生になった途端、行動範囲がそれまでとは比べものにならないくらい広がり、放課後に祖母と待ち合わせをして買い物に行ったり、お茶をすることだって可能になりました。

祖母との待ち合わせはいつも、繁華街で一番大きなデパートの入口でした。

待ち合わせの時間より常に早めに来る祖母は、入口に設置されている椅子の列に座ることもなく、しゃんと背筋を伸ばして立って待っていました。

どんなに急いで行っても私が祖母より先に着くことはなく「おばあちゃん、早く来すぎだよ。せめて座って待っててよ」と私が言っても、「いいの、いいの」と言っていました。

祖母の行きつけのブティックと私が好きなお店をまわった後は、祖母が好きな喫茶店でケーキセットを頼むのが私たちのいつものコースでした。

「こんな時間にケーキ食べて大丈夫?夜ご飯は入るかね」と祖母は気にしていて、私は「小さい子供じゃないんだから」と答えていましたが、いつまでも小さな子供のように気遣ってもらえるのが好きでした。

その後、私は習い事に行く日もあったし、まっすぐ家に帰る日もあったし、友達と合流して遊ぶ日もありましたが、祖母と別れる時はいつも「おばあちゃん、またね!」と手を振りました。

「気をつけて帰りなさい」 祖母も小さく手を振りました。

 

私は祖母のことが大好きで、祖母も私のことが好きだったと思います。

たとえ血が繋がっていても苦手な親戚の人はいたし、両親や弟は大切な人たちだけどイライラしたり不満に思ったりすることもあるなかで、祖母はいつでも私にとって特別な人でした。

 

私が大学生になった頃、私が知らなかっただけで祖母は体調を崩し入退院を繰り返していたそうです。

そんな中、私は夏休みを利用して二週間ほど留学先から日本に帰国し、真っ先に祖母に会いに行きました。

「おばあちゃんね、もうあんまり体調が良くないのよ」 母が事前に私にそう告げました。

けれども元気な祖母の姿しか知らない私は、母が言わんとすることを察することができませんでした。

 

「おばあちゃん、来たよ」 そう言いながら祖父母の寝室のふすまを開け、祖母が布団に寝ている姿を見て、えっと驚きました。

体調が良くないとは聞いていたものの、布団で寝ている祖母はまるで体の輪郭が何トーンも薄くなってしまったかのように感じられました。

もし命の灯火というものがあるのであれば、祖母の命は切れかけた蛍光灯がチカチカと最後の力を振り絞って明かりを保っているようで、ちろちろと弱い灯火がわずかに燃えているようでした。

 

まさかこんなところまで来てしまっていたのかと驚くと同時に、止めようがない涙が溢れてきましたが、ここで私が泣くなんてあまりにも不謹慎すぎるし、あまりにも縁起が悪すぎる。

そしてなによりおばあちゃんを不安にさせてしまうじゃない。

瞬きを我慢して涙がこぼれ落ないようにしてみましたが、無駄な努力でした。急いで涙を拭うと祖母の近くに寄り、もう一度「おばあちゃん、来たよ」と言いました。

祖母は弱々しい顔で微笑むと「よう来たね」と言いました。

祖母は私の大学生活を心配していてなにか困ったことはないかと聞いてくれましたが、話すのが大変そうでした。

母に促されて「おばあちゃん、また来るね」そう言うと、「体に気をつけて頑張りなさい」と祖母が言いました。

 

体に気をつけなくちゃいけないのはおばあちゃんの方だよ。

私の心配をしてる場合じゃないよ。どうにかしておばあちゃんを引き止めなくちゃいけない。

悲しくて、悲しくて、本当はわんわん泣きたかったけど、人目がつくところで取り乱すのはみっともないことだし、私は自分の感情のままに泣いていい小さな子供ではないし。

なによりそんなことをしてもおばあちゃんを困らせるだけだから。

 

留学先に戻って、たった十日後のことでした。

おばあちゃんが危篤だからすぐに飛行機のチケットを取って戻ってきなさいと母から連絡が来ました。

どんなに急いでもアメリカと日本は遠すぎて。

 

「おばあちゃん、また来るね」 結局、これが祖母に伝えた最後の言葉となってしまいました。

お別れの言葉を言うにはまだ早すぎて。

だから言ってはいけないと思っていたけど。

「また来るね」なんかが最後の言葉になるとわかっていたら、もっと別の言葉を選んでいたのに。

こんなふうに、特別な人が自分の人生からいなくなってしまうなんて思ってもみなかったから。

悲しみと後悔と痛みがあとからあとから押し寄せてきて、私はただその波に飲み込まれてしまいました。

きちんと息をしているはずなのに、空気が上手く通ってこないような息苦しさがそれから何年も続きました。

 

『今日、だれかに伝える言葉があったとして、それが最後の言葉になるとしたら、その人にかける言葉も、かける態度も変わると思いませんか』

このような考え方を以前耳にして、まったくその通りだと思いました。

 

「今日」の続きに「明日」があって、朝が来て夜が来る。

子供たちにきつく言いすぎたなとひとりで後悔する夜があっても、「昨日は言いすぎてごめんね」と伝えられる朝が必ず来る。

「明日」という日が約束された世界で今は生きていて、毎日手渡される「明日」を当然のように受け取っているけど、本当はちっとも当然なことなんかじゃない。

 

明日はあなたの力が及ばないところにあります。

昨日は戻ってきません。

手が届くのは今だけです。

今を大切にして、今この瞬間にそのことに気づいてください。 *1

グリーフリリーフ(FESフラワーエッセンス)は、人間と動物いずれも愛するものの死を目前にして、魂の基礎を再構築するのを手伝うエッセンスです。

その他にも

・離婚や離別など、あらゆる人間関係の破綻のとき

・自然災害により死、破綻、損失などを経験した犠牲者と救援者の双方に

・個人的な喪失、または後退の状況にあって魂が空虚であると感じるとき、新しい方向性と意味を探しているとき

などをにサポートしてくれます。*2


 

引用:

*1 ウィズダムオラクルカード

*2 2021年 ネイチャーワールド株式会社

「大自然からの贈り物 こころと体を癒す 世界のフラワーエッセンスガイドブック VOL.2」 34ページ

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