過去へと遡る旅
私たちは旅をすることで、非日常的な世界を楽しむことができます。
けれどもそれだけでなく、旅は時として、私たちを心の奥深くにある扉へとつなぐことがあります。
私たちは心の中に、いくつもの扉を持っています。
過去の記憶へとつながる扉
持って生まれた才能へとつながる扉
未来の可能性へとつながる扉
どの扉も、私たちを大切なさまざまなものへと繋いでくれます。
旅を通して普段の生活とは異なる経験をすることで、私たちはいつもなら触れることはない、なにか触れることができます。
そしてこの経験が、心の中の扉へと導くのです。
私には2歳年が離れた弟がいます。
「お姉ちゃん」
弟からそう呼ばれると、何歳になっても懐かしい気持ちになります。
私たちは、弟が小学3年生になるくらいまでは、よく一緒に遊んだものでした。
あの頃の私たちは、一番お互いに遠慮がなかったように思います。
弟は繊細ですぐに泣く子で、私は口やかましく強い姉でした。
けれども弟はいつの頃からか泣くのをやめ、背がどんどんと伸びていき、私たちは少しずつ家族よりも友達と過ごす時間を選ぶようになっていきました。
子供時代は、誰にとっても特殊な時間です。
そして兄弟とは、ある種の「同志」のようなものだと私は思います。
それぞれの家庭にある独自のルールや生活スタイルを共有し、隣同士に並んで食事をし、おやつの微妙な量の差でムキになり、お互いにしか分からない冗談で笑い合い、同じことに心を痛めます。
「家の中」という外からは決して見えない世界を共有できる唯一の存在が兄弟です。
この「兄弟と過ごす時間」は、限られた時間枠だけに許されたものであるという事実に気づくのは大人になってからです。
私も弟も大人になり、それぞれが遠く離れた場所で暮らし始め、あんなにウンザリするほど毎日顔を合わせていたのがウソのように、会う機会がぐっと減ってしまいました。
4年ほど前、私は子供たちを連れて、関西に住む弟家族に会いに行きました。
8月の終わり頃のことだったと思います。
到着が間もないことを伝えるアナウンスが、機内に流れていました。
機内の窓から見下ろす景色には、無数の建物や家がひしめき合うように並んでいて、あの中で信じられないほどの数の人生が営まれているのだろうと思うと、世の中はいつも私が想像している以上に複雑なのだろうと思いました。
着陸後、スーツケースを受け取ると、私たちはシャトルバスに乗り込み弟家族との待ち合わせ場所へと向かいました。
「お姉ちゃん」
懐かしい声からそう呼ばれ、私は振り返りました。
「久しぶりだね。元気だった?」
そう挨拶を交わしながら弟を見上げました。
「そうだ、この子は私よりもずいぶんと大きかったんだった」と改めて思い出しながら、「それにしてもおじさんになったものだ」と思いましたが、同じようにおばさんになった私には言われたくないだろうとも思いました。
それから、弟家族が高層ビルにあるレストランへ連れて行ってくれて、そこで食事をしました。
レストランの窓からパノラマに広がる街並みを見渡しながら、自分の人生の道筋もこれくらいはっきりと見通せたらどんなにラクなことかと考えていました。
弟とはお互いの近状報告やたわいもない話もしましたが、子供の頃の昔話にも花がさきました。
弟と過ごした子供時代を振り返ることは、私の心にあった頑な何かをゆるめていきました。
それはきっと、「明日は明るく、それがただ毎日続いていく」と何の疑いもなく信じていた幼い頃のことを思い出していたからなのかもしれません。
いつの頃からか、「人生は期待通りにいくものではない」と信じることが、落胆との上手な距離の取り方になっていました。
「どうなるかわからない未来」が投げかけてくる不安は、時に重すぎて、心にうまく折り合いをつけることも、まっすぐに立つことも難しくさせます。
私は心の奥深くにある扉のむこうで、子供の頃に灯した「明日は明るく、それが毎日続いていく」という灯火を大切に守り続けていたのだと思います。
そしてこの旅は、その灯火へとつながる扉を開く機会をわたしに与えてくれるものとなりました。
私たちはさまざまな目的を持って旅をします。
訪れる場所も、出会う人達も、そこでの経験もさまざまですが、旅は必ず私たちの心を大切な何かに触れさせます。
ティーリーフのフラワーエッセンスは、懐かしい過去や記憶と繋げてくれるエッセンスです。
このエッセンスは過去へと遡る旅をサポートしてくれます。
再生のエネルギーを持つこのエッセンスは、過去の記憶をより前向きなエネルギーに変換し、再び歩き出すための勇気と新たなステージを与えてくれます。*①
引用:
*① シャンドゥルール リーフレット