ケセラセラ
大人になって、いろいろなことがわかってきた。
結婚していようがいまいが手放しで幸せな人はいないということや、
人生はたいへんだから楽な人生の人などいないということや、
社会は男の人を中心に回っているということや、
私の好きなようなものを好きな人はとても少ないということや。*1
家中が緑色であふれかえっていた。
リビングはもちろんのこと、和室も台所も出窓も廊下も洗面所もテラスも、一階にある場所という場所はどこも観葉植物たちの生息地になっていた。
ポトス、オリズルラン、トックリラン、コーヒーの木、サンスベリア、ハートカズラ、ベンジャミン、ほかにも名前を知らない沢山の植物たちが母の手によりきれいに鉢に植えられて、置かれた場所でじっと生息していた。
私はまだ子供だったので、きっと実際にあった植物の数よりも、もっと多く感じていたと思う。
そうだとしても、私たちの家に植物があるのではなく、植物たちの住処に私たちが暮らしているような感覚を覚える時があった。
水やりや植え替え、日光に当たるように移動させたり、活力剤をあげたり、健康状態をチェックするなど相手が生き物であるがゆえにしなければいけないことは沢山あったけど、母はそれがまったく苦ではないように見えた。
植物たちは、ブラインドの隙間から差し込む朝日をうけてつやつやと輝いてみせたかと思えば、夜になると「夜用の顔」しか見せてくれず、息づかいを感じることはできなくても、やっぱり生きているんだなと子供心に思った。
「うちって少し変じゃない?」ある時母に訊ねてみた。
「どういうところが?」籐のかごを編んでいた母が、少し顔を上げてそう言った。
「どの家に遊びに行っても、観葉植物って少ししか置いてないよ。うちは多すぎてジャングルみたいじゃない?」
母はふふと笑うと「あの子ね」と大きなベンジャミンを指さした。
そのベンジャミンは家にあった植物の中でも群を抜いて大きく、父の背丈ほどもあった。
「随分とむかしのことなんだけど、とても悲しいことがあってね。
ある時、お店であの子を見つけたの。
まだ小さくて弱々しかったけど、なぜかとても惹かれてね。
この子を育ててみようって思ったの。
家に連れて帰ってお世話をしているうちにね、どんどん成長していくのが嬉しくてね。
そしたら悲しい気持ちも少しずつ小さくなっていって。
それから少しずつ、ほかの観葉植物も買い足していったら、こんなに沢山になっちゃった。やっぱり多すぎるよね」
「まあね」そう答えながら、それならいいやと思った。
お母さんがもう悲しくないならジャングルみたいな家でもいい。
お父さんは無駄に強いから大丈夫。
だけどお母さんの強さはお父さんのものとは少し違う。
お母さんが強いのは、きっと私と弟がいるから。
私たちを守るためだけにお母さんは強い。
自分自身を守るためのものではない。
だからお母さんには悲しいことなど起こって欲しくない。
きっと悲しみから自分自身を守ることは苦手だろうから。
お母さんにはいつだって幸せでいて欲しい。
家から一歩踏み出せば、だれもが気丈に振舞うことを強いられる。
たとえ心の中ではさまざまな感情が渦巻いていて、それらにのみ込まれないように必死だとしても、なんでもない顔をして普通に笑って、するべきことを淡々とこなしていく。
私たちは何もかもを言葉にして、だれかに伝えたりはしない。
むしろ言葉にしないことのほうが圧倒的に多いと思う。
『あなたからは見えないだけで、人は誰しもがそれぞれに「戦い」を抱えながら生きている。だから優しくあれ。いつでも、だれにでも』
ベンジャミンの鉢植えを見るとこの言葉を思い出す。
母を悲しみから救ったあのベンジャミンは、あれからさらに20年ほど生き続けたのち、その生涯を閉じた。
母は泣きに泣いた。
だれの目にも映らなかった母の「戦い」を見守り続け、母に優しさをさし出し続けたのはきっとあのベンジャミンだったのだろう。
『人生は全部決まっている』。
子どもの頃に父から教えられた言葉です。
人にはそれぞれ掲示板のようなものがあって、何が起こるか、そこにすべて書かれているんですって。
だから気楽に生きればいいという意味です。
もちろん、努力しながら一生懸命生きることが大前提。
でも努力してもどうにもならないこともあるじゃないですか。
そういうときの最終的な腹の括り方として、『人生って、全部決まってるしな』って割り切ると、心がラクになる。
苦しむ時間も大切だけど、あまりにもしんどいときは、自然とこの言葉を思い出します。*2
門脇麦さん
私たちは誰しもが、人の目には映らないところで「戦い」を抱えながら生きている。
だけど苦しみはできるだけ少ないほうが良いし、心はできるだけ軽やかなほうが良い。
もしかしたら私は深刻に考え過ぎているのかもしれない。
もしも『人生は全部決まっている』のであれば、きっと、ケセラセラと歌うように生きてみるのも悪くない。
瀬戸内の四季シリーズ第1弾が椿フラワーエッセンスです。
岡山県白石島という、美しい海に囲まれた小さな島で出会ったのが、赤い椿でした。
大きく美しい赤い花が濃い緑の葉の間から顔を出して咲いており、ひと際、存在感を放っていたのです。
椿フラワーエッセンスは、堂々とした美しい女性をイメージさせるエネルギーです。
椿の散り際の潔さには、細かなことにこだわらず、ケセラセラ、なんとかなるさと前向きなイメージがぴったりです。
これまで持ち続けてしまった不要な羞恥心を外すことで、自分に誇りを持つことができるようになります。
流れに身を任せるしなやかさと、揺るぎない自信が、外側に現れる強い魅力に繋がります。
椿フラワーエッセンスをとることで、自分の人生は自分が主役であることを思い出すことができるようになるでしょう。*3
引用:
*1 平成30年 株式会社新潮社 吉本ばなな
『イヤシノウタ』 46ページ
*2 2023年 株式会社宝島社 『心を支えてくれた言葉、運命が好転した言葉。』8ページ
*3 2022年 株式会社彩流社 YOKOKO
『「花の波動」で幸せな人生を手に入れる』193ページ