幸運の正体

「生きているとね、信じられないような幸運が舞い込んで来たり、あるいは九死に一生を得たりするような経験をする時があるんだよ。そんな時はね、目には見えないけどご先祖さまたちが積んできた徳がもたらす運を分けて頂いているんだよ」

 

小学校の低学年の頃、私たち家族は一年間ほど祖父母の家に同居させてもらっていました。

父の仕事の都合による引っ越しや、新しく家を建てるなどの事情があったようですが、まだ子供だった私にとって、詳しい理由を知ることはさほど重要ではありませんでした。

ただ、この「祖父母の家で一緒に暮らす」という時間があったお陰で、私は祖母からさまざまな話を聞く機会に恵まれました。

 

祖母はとても早起きで、毎朝4時半には起きていました。

ある朝、家族がみんなまだ寝静まっている早い時間に私ひとりだけが目覚めてしまいました。

もう一度寝ようと頑張ったのですが、もうすっかり目が覚めてしまっていました。

「もしかしたらおばあちゃんが起きているかもしれない」と思い、二階の廊下から下を覗いてみると居間のガラス戸から明かりが漏れているのが見えました。

パジャマのまま下に降りて「おばあちゃん」と声を掛けました。

「あら、もう起きたのね」と言いながら、寒いから早くこたつに入りなさいと勧めてくれました。

 

日本舞踊を習っていた祖母は、テープレコーダーにイヤホンを使って踊りの曲を聞きながら、チラシの裏に振り付けを順番に絵で描いているところでした。

「うわー、すごい。これ全部おばあちゃんが描いたの?」と言うと、「なんの、たいしたことないよ。ただ覚えているうちに描いておかないと忘れるからね」と祖母は微笑みました。

それから「ちょっと待ってなさい」と言うと、ストーブの上で焼きおにぎりを作ってくれました。

 

「生きているとね、信じられないような幸運が舞い込んで来たり、あるいは九死に一生を得たりするような経験をする時があるんだよ。

そんな時はね、目には見えないけどご先祖さまたちが積んできた徳がもたらす運を分けて頂いているんだよ」

何かの話の続きで祖母がそう言いました。

「九死に一生を得る」という言葉の意味も「徳を積む」ということがどういうことなのかも分からず、きょとんと祖母を見ていると、祖母はどう話せば私にも理解できるか少し考えると、こう続けました。

「たとえばね、誰か困っている人が目の前にいるとするでしょう。

そしてその人を助けたとするよ。

この時、この助けた人の『ああ、助かった。ありがとう』という感謝の気持ちが大きな箱の中に貯まっていくんだよ。

実際には目に見えないけどね。

気をつけなくちゃいけないのはね、何か見返りを求める気持ちがあったり、後々自分の得になりそうだからという気持ちで助けても何も貯まらないんだよ。

優しさとか誠実さとか思いやりの気持ちが誰かを助ける行動の理由になっている時だけ、貯まっていくの。

こうやって貯まっていた『感謝の気持ち』は、今度は『幸運』という形に変わっていろんな人のもとに贈られることがあるんだよ」

「自分が誰かを助けて貯まった『感謝の気持ち』と同じ量だけの『幸運』がもらえるの?」

「ううん。おばあちゃんがもらって貯まった『感謝の気持ち』も、おじいちゃんがもらって貯まった『感謝の気持ち』も、みきちゃんがもらって貯まった『感謝の気持ち』もみんな同じ所に貯まっていくんだから、誰がどの量なんて関係ないよ。

必要な時に、必要な人のところに、必要な分の幸運が届けられるんだよ」

「えー!そしたら多く貯めた人が損するよ」

「そんなことないよ。

自分がまだ少ししか貯めてない時は、すでに沢山貯めている人の分を分けてもらえることだってあるよ。

幸運は分け合うほうがいいんだよ。

人はそうやって助け合って生きてるんだから」

「ふーん」

分かったような、分からなかったような気持ちで私はそう言いました。

 

 

まだ祖父母の家で暮らしていたある日のことでした。

習い事が終わって、一人で歩いて家に帰っていました。

信号が青に変わって、横断歩道を渡っていた途中のことまでは覚えています。

 

目が覚めると大人の人たちに囲まれていました。

蛍光灯の明かりがとても眩しく感じましたが、よく見るとどうやらその人たちはお医者さんや看護師さんで、わたしは病院の診察台の上で寝ているようでした。

「今検査をしてるから、もう少しだけ動かないでね」看護師さんらしき女の人からそう言われたので、私は小さく頷きました。

ばたばたばたと誰かが急ぐ音を聞いていると、その音の主は母だったらしく「お母さんが来たよ」と看護師さんが教えてくれました。

自分に何が起こっているのか全く分からなくて本当はとても怖かった私は、母に早く「大丈夫だよ」と言ってもらいたくて「お母さん!お母さん!」と大泣きをしました。

 

私は横断歩道を渡っている途中で交通事故に遭ったそうです。

車に撥ねられて、体が何メートルも飛ばされたのだと大人の人たちが話していました。

下の歯の永久歯が一本抜けてなくなってしまいましたが、負った傷はそれだけで「不幸中の幸いだ」と大人の人たちが口々に話していました。

 

「おばあちゃん、わたし『幸運』を分けてもらったんだね」

病院に駆けつけてくれた祖母にそう言うと、祖母はいまにも泣き出しそうな顔をしていて、それは私が初めて見る祖母の顔でした。

 

 

先日、喜多川康さんの著書である『運転者 未来を変える過去からの使者』を読みました。

この物語を読んでいると、子供の頃、祖母から聞いた話が思い出されました。

世界がまだ寝静まっている静けさの中、起きているのは私と祖母のたった二人だけのように感じた冬の明け方。

蛍光灯の明かりに照らされたテープレコーダーの黒い艶めきと、焼きおにぎりを作っている祖母の横顔をオレンジ色に染めるストーブの明かりと。

祖母から聞いた「幸運の正体」の話を思い出しながら、祖母のことを恋しく思いました。

 

右肩上がりで調子が良かった頃は、運が良かったわけじゃなくて、自分じゃない人間が〈使わずに貯めておいた運〉を使わせてもらっただけなんじゃないかって。*1

 

良蔵さんの人生は過酷そのものでした。

生まれたときから死ぬまでずっとです。

そういう時代だったと言えばそれまでですが、今の時代の人たちには想像もつかない時代の荒波に日本全体がのみ込まれていました。

そんななかで良蔵さんはいつも上機嫌でした。

さすがに戦地に行って生きるか死ぬかのギリギリの毎日を送るなか、数万という兵士が次々と死んでいく様子を見ているうちに、上機嫌でなんていられなくなりましたけどね。

そうして、今の人の価値観からすると〈運の良さ〉とは無縁の二十六年の短い人生を終えたんです。

でも彼らが貯めた運があるから次の世代が、日本を大きく成長させることができたんです。

あなたのおじいさんの良蔵さんのように、誰かのために命を使う生き方を懸命にして、上機嫌に生きていたけれども、自らの運を良くするような転機が訪れないままその命を終えた人はいます。

そうやって貯めた運があったから次の世代はたくさんの幸運を手にできたんです。

あなたも同じです。

その人たちが貯めた運の恩恵を受けてこれまで育ってきたんですよ *2

 

理不尽なことなどたくさんあります。

自分の痛みを誤魔化すために平気で他の人のことを傷つける人もいるし、自分だけが得をしようと他の人のことを欺く人もいるし、自分だけがスポットライトの中にいようと、周りの人を蹴落とすことに必死な人もいます。

理不尽なことだらけのこの世界。

でもこの世界には「善意の種」をせっせと植え続ける人たちもいます。

そして誰かが過去に植えた「善意」の種が「幸運」という果実となり、必要な人のもとへと届けられます。

だからこの世界だって悪いことばかりではない。そう思います。

 

ピンクイルカエッセンス

ピンクイルカのエッセンスは、私たちの心を開き、心から「感じる」ことを手助けしてくれます。

存在するすべてのものは、本当は皆ひとつです。

全ての存在はつながっていると感じるために、私たちの心を自然の美しさと私たちの中にある奥深い英知に結び付けてくれます。

このエッセンスは愛と喜びをもって、私たちの精神が成長していくように手助けをしてくれます。*3

 


引用:

*1 2019年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 喜多川泰

「運転者 未来を変える過去からの使者」ページ129/202

*2 2019年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 喜多川泰

「運転者 未来を変える過去からの使者」ページ133/202~134/202

*3 2021年 ネイチャーワールド株式会社

「大自然からの贈り物 こころと体を癒す世界のフラワーエッセンス 122ページ

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