新しいはじまりの始まり
四月になりました。
多くの方々にとって「新しいはじまり」が始まる月です。
新しい学校、新しいクラス、新しい職場、新しい住まい、新しい人間関係。
この「新しいはじまり」が好きな人もたくさんいますが、私は子供の頃から苦手でした。
慣れ親しんだものに囲まれて暮らすことに安心感と安全性を見出していたからです。
バッチフラワーレメディの勉強を始めた時に、最初に強く惹かれたフラワーエッセンスはミムラスのエッセンスでした。
このエッセンスのテーマは「勇気と自信」です。
ミムラスは多年草なので、一度根を下ろすとその場所で何年も生きていかなければなりません。
それにも関わらず、この花が一生を過ごす場所として選ぶのは、小川や湿地など水に流されそうな危機感と緊張感がある場所です。
ミムラスは、ここでしがみつくようにして生きていきます。*①
いつ川の流れが強くなり、流されてしまうかわかりません。川の水の量が急激に増えてしまう可能性すらあります。
ミムラスは、自らの力ではコントロールすることができない外的な危険性と常に隣り合わせで暮らすのです。
フラワーエッセンスと出会うまでは、恐いと感じるものがたくさんありました。
それが故に「危険なもの」に対しては子供の頃からとても慎重に接していました。
・心配性で緊張症
・臆病で周りからの影響に敏感に反応する
・あらゆる種類の過敏症
・自分が恐れているものに直面すると具合が悪くなる *①
シャンドゥルールのテキストに書かれてある「ミムラスタイプ」の人に起こりやすい状態を読んだ時に、変わりたいと長年思っていた状態にぴったり当てはまることが書かれてありました。
そして、どうすればこの状態から抜け出せるのか、その方法が分かったことに深く安堵したことを覚えています。
子供の頃、毎年四月に訪れるクラス替えも、新しい友達の前でしなければいけない自己紹介も、引越しも転校も、私にとって「恐れ」の対象でした。
それは、これらの変化が私から「安心感という幸せ」を奪う対象として私が認識していたからだと思います。
「そこに意識を向ける」という行為が、
すでにものごとを顕在化させる力を持っているのです。 *②
フラワーエッセンスと出会うまでは、「どうせ上手くいかない」「どうせ私なんて」という言葉を数え切れないほど心の中でつぶやいていました。
けれども言葉も思考も波動として自分の現実に影響を与えていると知ってからは、この無意識に唱えていた言葉を変える努力を始めました。
自分にとってあまりにも馴染み過ぎている、この「どうせ」という言葉を逆に利用して、「どうせ上手くいくよ」と変えてみることから始めてみました。
不安なことや心配なことが頭をよぎる度にこの言葉をつぶやくのです。
すると何の根拠もなく、上手くいく確証もないのに、この言葉にホっとする感覚がありました。
きっとこの安心感の積み重ねとミムラスのエッセンスが、私が向ける意識を「恐れ」から「安心」に変えていったのだと思います。
さまざまな「恐れ」の対象が、以前のように「私の手に負えないもの」ではなくなっていき、「私が対応できるもの」に変わっていきました。
「幸せ」のあり方は、人それぞれです。
私にとっての「幸せ」は、突き詰めれば「安心できること」でした。
そして、この安心感は自分以外の外的なものからの影響を大きく受けると信じていました。
だからこの「安心感」という幸せがなくならないように、「恐いもの」に対して常に慎重だったのだと思います。
自分が「幸せだ」と思っていれば、まわりのネガティブな波動には影響を受けません。
なぜなら、幸せの波動は不幸の波動に共鳴しないからです。 *③
「それにねえ、あなたしあわせがどうこう言うけれど、しあわせなんて人から貰ったり人から汚されたりするものじゃないわよ。自分で作りあげたものを壊すのも汚すのも、いつだって自分にしかできないの。他人に左右されて駄目にしちゃうなんて、もったいないわ」 *④
多分、これから何度となく自分に言い聞かせるだろう、と美保理は思う。
しあわせを見失いかけたときにきっと、何度も。
ただ信子さん、思うんです。しあわせはやっぱり、人から貰うこともありますよ。
それをいつか、機会があったら伝えたいです。 *⑤
多くの方々にとってのこれからの「新しいはじまり」の始まりが、たくさんの幸せと共鳴するものになりますように。
参考:
*① シャンドゥルール フラワーエッセンスホームケアリスト通信コーステキスト
引用:
*② 2022年 株式会社彩流社 YOKOKO
「『花の波動』で幸せな人生を手に入れる 39ページ
*③ 2022年 株式会社彩流社 YOKOKO
「『花の波動』で幸せな人生を手に入れる 30ページ
*④ 2019年 株式会社東京創元社 町田そのこ
「うつくしが丘の不幸の家」 ページ32/260
*⑤ 2019年 株式会社東京創元社 町田そのこ
「うつくしが丘の不幸の家」 ページ44/260