記憶を乗り越える
つらかった記憶
激しく後悔した記憶
傷つけられたりした記憶
見捨てられた記憶
そういう記憶を胸に抱いて生きている者だけが
もっと強く熱く そして柔軟にもなれて
幸せを勝ち取れるのだ
だから忘れるな
乗り越えろ
無理なら
魂が成長しないからいつまでも子供だ *1
祖父母の家は昔ながらの造りで、広くて大きく、日当たりの良い場所はとことん明るく風の通りも良いけれど、日当たりの悪い場所はいつも薄暗く、お線香と古い木造の香りがしてとても怖かった。
茶の間を抜けて、台所を通るとすぐ隣に祖母の部屋がある。
大きな箪笥の中には着物や帯などがしまってあり、すりガラスの窓のすぐそばには鏡台が置いてある。
天気が良い日には、祖母のおしろいの香りがいつもよりほんの少しだけ濃く漂っている。
二重の輪っかの蛍光灯から垂れ下がっている長い紐の先には、ひょうたんの形をした小さなお守りが結びつけられていた。
明るいほうを向いて、万華鏡のようにひょうたんの中をのぞくと、神さまの絵が見えるつくりになっている。
薄暗くて怖い部屋に行く用事がある時は、わざわざ祖母の部屋を通って、おしろいの香りを吸い込み、このひょうたんをのぞいてから行っていた。
祖父母のあの家はもう随分前になくなってしまった。
だけど、いまでも時々あの家のことを思い出す。
記憶をなぞるのは恋しさの証。
恋しさは愛されていた証。
「たったふたりきりの姉弟なんだから仲良くしなさい」子供のころ、弟と喧嘩をするたびに母はそう言った。
「べつに弟なんかいらなかったけど」無駄に傷つけたくてそう言い放つ。
未熟で幼くて、自分のことしか考えられなかったあの頃の私はまだ知らない。
にがい思い、辛い記憶を乗り越えて、弟は私よりずっと先に大人になる。
大人になった弟は、記憶を乗り越えられず子供のままの私を助けようと遠くから駆けつける。
本当はいつでも絶対的な味方だったということを、あの頃の私はまだ知らない。
たったふたりきりの姉弟。
やるせないこの思いは後悔の証。
心があまりにも未熟だったから、見えていないことがあり過ぎた。
高校の頃は、海辺の街を通って学校に通った。
同じ学校に通う子たちがぎゅうぎゅうに詰まったバスでは、だれもが座りたくて席を取るのに必死だった。
バス停では、バスが来るのを今か今かと待ち構える。
席を取るのに負けた日は最悪だ。
眠たくて重い体のまま、体を縮こめながら40分ほど満員バスで立ちっぱなしだ。
家を出る時はまだ薄暗かったのに、造船所のあたりを通る頃には大型クレーンとか、きっと名前を聞いても分からないであろう巨大な機械とか、ドック入りしている大型船の背景で朝日が昇り始める。
世界がオレンジ色にじわじわと染められていくのを目にしながら、朝日が昇るスピードって思いのほか早いんだなと思った。
ただでさえ蒸し暑いバスの中が、朝日の登場と共にさらに温度を上げていく。
はーっと心の中で長いため息をつく。
長い一日がまた始まる。
ため息は疲労の証。
頑張る理由が見つからない。
最後に父に触れたのは、小学生の頃だったと思う。
受け入れたくないものに人は触れない。
触れないのは否定の証。
だけど、人は自分が見たい角度からしか物事を見ない。
親の愛に気づけないのは未熟な証。
高校の時に、お父さんと仲良しで一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べに行ったりすると話している子がいた。
なにそれ、ダサっと心の中で散々バカにした。
このトゲトゲとした心のかたちは羨ましさの証。
だけど思う、私のほうこそ父の理想の娘ではなかったのではないか。
素直に愛情を求めて、素直に愛情を表現できなかったのは私のほうだったのではないか。
幼稚園の時に、母が私の誕生日ケーキを焼いてくれた。
あの頃はまだ家にオーブンなどなかったから、トースターを使って。
甘くておいしい香りを漂わせながら、ケーキは長方形の型の中できれいなきつね色をしていた。
バタークリームを塗り、銀色でキラキラとしたアラザンやシロップで漬けられたチェリーでデコレーションしていく母を私はずっと見ていた。
嬉しかったから。すごく嬉しかったから。
ケーキを切り分けてみたら、真ん中の部分が生焼けだった。
やはりトースターで上手く焼くのは難しいのだろう。
せっかくの誕生日を台無しにしてしまったと母はすっかりしょげていた。
もうケーキは諦めよう、こんなの食べられないよと母が言い出すものだから、びっくりした。
生焼けでもいいと私があまりにも食い下がるものだから、結局、焼けているところだけを切り取って食べることになった。
母が誕生日ケーキを手作りしたのはあの一度きりで、その後は毎年、お店で作られた非の打ちどころのないケーキが用意された。
だけどあの生焼けのケーキは、何十年と経った今でも私の中で特別なものとして記憶に残っている。
愛情の証だったから。
まだ失敗することだってあるほど若かった母が、特別なことをしてあげたいと頑張ってくれたあたたかい記憶だから。
遠方で暮らす弟が、私たちに会うためにはるばるやって来た。
息子は弟とバスケの試合を観に行ったり、一緒にゲームをしたりして、弟に甘えて楽しそうにしている。
この子にも、本当は男親が必要なのだろう。
父と母もわが家に集まり、みんなで食卓を囲む。
みんなで写真を撮りたいと弟が言う。
私は父の隣に座り、父の腕にそっと両手を回した。
小学生のころ以来触れていなかった父の腕は温かかった。
この腕はきっとずっと温かくて、この腕はきっとずっと私に向けて開かれていた。
私がそれを拒んでいただけだ。
止まっていた時間は、大切なことに気づくと動き出す。
記憶はさまざまな証となり、静かに心の中に降り積もる。
傷つけた記憶。傷つけられた記憶。
人を恨んだ記憶。人の不幸を醜く願った記憶。
大切に思われた記憶。愛された記憶。愛した記憶。
与えられたものの記憶。失ったものの記憶。
悲しみの記憶。幸せな記憶。
乗り越えろ
無理なら
魂が成長しないからいつまでも子供だ *1
頑張る理由なら、ずっとここにあったではないか。
辛い記憶を乗り越えて、大人に成長して、幸せになることを諦めない。
私にたくさんのあたたかい記憶を与えてくれた人たちは、きっと私のそういう姿を見たいんだと思う。

デスカマス(パシフィックエッセンス)
「再生」と「始まり」をサポートするエッセンス。
古いものを手放し、新しい人生をスタートさせるとき、新しい何かにチャレンジするときに役立ちます。
転職、転校、引っ越し、新しい人間関係……そんな人生の転換期のストレスや心配を和らげ、勇気と大胆さを持って眺めるように応援します。*2
引用:
*1『サイコだけど大丈夫』第1話 脚本:チョ・ヨン
*2 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵
『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』93ページ
