しょっぱい現実

本当の願いとはなんだろうか。

人はこの世に生まれてきて、経験もないままに初めてのことを体験する。

社会の中で何者かになろうとし、いつしか自分自身とはぐれていく。

人は生まれて、ただずっと変化し続けていく。

その過程にはうまくいかないことや、うまく進まないことが多い。

間違いばかりおかしながら、それでも自分自身と「一致」しようと、適合を求めていく。*1

 

目の前で泣いている娘のすがたを見つめながら、なんてこったと思った。

あまりにも軽率な感想だと自分でも思う。

きっとこの現実を、現実として受け止めたくなかったのだと思う。

心が止まり、世界も動きを止めて、音までもなくした気がした。

彼女が小さい頃に流していた涙が思い出される。

たとえばお腹が空いたとか、抱っこして欲しいとか、あれが欲しいとか、もっと遊びたかったとか。

まっすぐな欲求をただただ訴えるためだけに流された涙は、金平糖のようなパステルピンクとかパステルブルーの色がついているように感じられた。

あまくてかわいらしい色。

だけど今彼女が流している涙はそんな単純なものではない。

深い疲れの色をしたそれは、ただただ塩からい。

安達茉莉子さんの本に書かれてあった『しょっぱい現実』という言葉を思い出す。

どうしてこんな事になってしまったのだろう。

私のほうがどうにかなりそうになる。

この痛手は大きい。

 

親は、子どものことを何も決められないんだ。

ただ見守ることしか。

私が、私たちが、決めることを許されたものがあるとしたらたったひとつ、名前ぐらいだ。*2

 

きっと私にできる一番のことは、この子にはここから立ち上がる力があることを心の底から信じること。

この子の奥底にはキラキラとした明るいものが失われず、まだちゃんとあるのに、どうしたらそのことに気づかせてあげられるのだろう。

 

「神さま、どうかおねがいします」

子どもの頃からもう何度唱えたことかわからない祈りの言葉。

正直なところ、本当に神さまがいてもいなくても、どちらでも構わない。

まだすべての希望が失われたわけではないと、そう思えるような、自分よりもはるかに大きな存在に縋りたくなるような時は、きっとだれにでもあると思う。

 

「傷」を「癒す」ことを許す。

次に進むことを許す。*3

 

神さまどうかお願いします。

あの子がいつか傷が癒えることを自分に許せる日が来ますように。

前に進むことを選べる日が来ますように。

 

あなたの信頼は、その子の追い風に。

あなたの心配は、その子の向かい風になります。

どっちでも子は育ちますが、せっかくの大切な子どもなので、たくさん追い風を向けてあげましょう。

吉川めい

 

「人生ってのはね、最後はぜんぶちゃんと上手くいくようになってるんだよ。

嫌なことも苦しいこともあるけど、それは途中で起こっていること。

最終的には上手くいくようになってるんだから、今はただ、その過程を生きているんだってことを知っておきなさい」

高校の時、毎日通う学校が苦痛で仕方がないと訴えたとき、祖母に教えてもらったことを思い出す。

 

本を読むのは、「イマジネーションで遊ぶのではなく、知りたいことを解き明かすため」。

生きづらい世での、処方箋のように。

日々をよりよく生きるために、暮らしの傍らには本が必要だという。*4

 

私は娘の向かい風にはなりたくない。

それなのに目の前にあるのはこのままならない現実。

私には悲しみを溶かす手立てとなるものが必要だと思う。

 

安達茉莉子さんの著書『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』を手にする。

付箋とかハイライトを引いている箇所を頼りに目的のページに辿り着く。

 

自分自身が壊れているように感じる時。

痛くて、誰かに優しい言葉を掛けてもらっても、何をしても、どんどんそれが漏れていってしまうように感じる。

大抵そういう時は、基盤である自分そのものに自信喪失していたり、あるいは傷を受けていることが多い。

原因は無数にあって、理由がなんであれ、傷ついている時は傷ついている。

自分自身という「器」にヒビが入っていて、どれだけやっても、満たされない。

そんな思いを抱いた時、自分自身がそのままバスタブになったと考えて、そのバスタブを「光」で修復するようなイメージワークをしていた。

具体的には、まず、自分をバスタブのような「器」のように捉える。

痛いね、ヒビが入っているね、と自分自身を全部スキャンするように、感じていく。

その次は、光のパテみたいなものをイメージする。

優しく甘く、柔らかく、細やかに輝くパテ。

そのパテは、傷に触れても痛くない。

それらが傷やヒビを塞いでいくようにイメージしながら、傷ついた部分に向かって声を掛ける。

掛ける言葉が見つからない時は、ただひたすら光のパテを当てる。*5

 

自分でフラワーエッセンスを選ぶ気力さえ湧かないので、レスキューレメディを飲む。

ズキズキと痛むこめかみや、息が詰まったように感じる喉にはレスキュークリームを塗る。

そして『光のパテ』のイメージワークをする。

 

きっと明日も私は、相も変わらず『しょっぱい現実』を抱えながら一日を過ごすだろう。

この傷は深く、修復には時間を要するだろう。

だけどそれでも私はこの『ヒビ』に、せっせせっせと光のパテを当て続けるだろう。

私は娘の追い風になりたいから。

彼女に前向きな変化を求める前に、まずは自分が変わることが先決だろう。

 

「何かの答えを見出すのは素晴らしいいことです。

でも、そこにたどりつくまで迷いながら歩く日々のほうこそを人生と呼ぶんじゃないかと、わたしは思うんですけどね」*6

 

ティーリーフ(シャンドゥルール)

過去とのつながりを再構築したり、清算したりする時にぴったりです。

現状の混乱した状態から復活して、過去のトラウマや傷を癒し、新たな人生のスタートを切ることができるようになるでしょう。*7

 

レッドチェストナット(バッチフラワー)

家族や自分が大切にしている人の健康や安全を過度に心配してしまう時におすすめのエッセンスです。相手への心配を信頼へと変えられるようにサポートしてくれます。

 

アルニカ(PHIエッセンス)

傷を負ったときの精神的なショックの緩和に使われるエッセンス。急な事故やケガのときには、応急処置として数滴口に含ませると良いでしょう。心の傷にも同様の働きを見せ、傷の原因となった障害物を取り除いて無傷だと感じられるように、また過去のショックの後遺症を癒すようにサポートします。*8

 


引用:

*1 2022年 株式会社玄光社 安達茉莉子 『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』 86~87ページ

*2 2021年 株式会社宝島社 青山美智子 『鎌倉うずまき案内所』ページ98/350

*3 2022年 株式会社玄光社 安達茉莉子 『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』 96~97ページ

*4 2024年 マガジンハウス 『&Premium特別編集 暮らしと生き方の、読書案内。』 8ページ

*5 2022年 株式会社玄光社 安達茉莉子 『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』110~111ページ

*6 2020年 株式会社宝島 青山美智子 『猫のお告げは樹の下で』位置No.1123/3703

*7 2022年 株式会社彩流社 YOKOKO 『「花の波動」で幸せな人生を手に入れる』179ページ

*8 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵 『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』87ページ

 

変化の一歩

胸の痛み 喉を伝い 聲にならない

夜の帷 優しくいたい 素直でも在りたいのに 僕らはヘタクソに生きてる

愛されたいのに

いつも通り 間違いばかりの今日をまず愛そうか

暗闇の中の光が傷跡に染みるが 矛盾こそ生き抜く為の美だ

手を取り 微弱な風に揺られて 無茶苦茶なこの世界を愛そうか

歩くのが疲れたの? むしろ正常でしょう?

見事さ また間違えて 履き違えてく

不器用な 愛しいボンクラ 等しい僕ら。*1

 

LINEの通知が来る。

『元気にしてる?』弟からのメッセージだ。

『元気だよ』と書いて、やっぱり消す。

『毎日いまいち』と書くと三角の送信ボタンを押す。

毎日いまいち。

自分だけ、何もかもを上手くできていないように感じる。

お昼休みになんとなく見るインスタは、何もかもが上手くいっている人たちの投稿で溢れかえっている。

私はいつになったらあちら側の人間になれるのだろうとため息をつく。

やるせなさとかうらやましさとか焦りとか諦めなどがたっぷりと含まれたため息を、もう何度ついたことかわからない。

生きるって難しいパズルをやっているみたいだなと思う。

みんなどうやって正しいピースを見つけているのだろう。

 

未来は、〝今〟の連続の先にあるのだ。

こんなしょぼくれた今の先には、やはりしょぼくれた現実しか待っていないように思えた。*2

 

頭ではわかっている。

自分の心の中を変えないことには、目の前の現実は変わらない。

今まで何十年もかけて心の中に積み重ねてきたさまざまなネガティブな思いが、鏡のように私の現実の世界に映し出されているのだから。

だけど、この間違いだらけの日々をどこから正していけばいいのだろう。

私はいくつになっても生きるのがヘタクソだと思う。

 

ホリーウィロウビーチのフラワーエッセンスを手に取る。

期待通りではない現実に対する憤りのために。

自分が人生の犠牲者のように感じられて、外の世界を非難することしかできなくなってしまっているから。

自分の毎日に、欠点しか見つけられなくなってしまっているから。

 

怒りは野放しにせず、どこかのタイミングで自分自身を癒して〝愛〟に変えていく必要があります。

そこで大切なのは、怒りの正体をよく見てあげることです。

怒りが湧いてきたり、イライラしてきたりしたときには、「私はなんで怒っているんだろう?」「私はなんでイライラしているんだろう?」と積極的に思考を見つめてください。

怒りは決してネガティブで悪い思考ではありません。

怒りは自分の中にしまい込んできた思いに気づくための大切なサインです。*3

 

ノートとペンを準備する。

どうせ言葉にして伝えたところでどうにもならないし、と押し込めてきた心の声をひとつひとつ書き出していく。

ひとつひとつ、本当の言葉を拾いながら、自分の気持ちに寄り添うと、しだいに心が軽くなっていく。

 

魔法のような、奇跡のような、瞬間的に救われる答えなどはない。

塗り重ねられた苦しみを、一枚一枚剥がしていくしかないんだと思う。

剥がし終わって初めて、本当の自分になれるんだ。*4

 

自分で自分のことを救い、自分で自分の心を優しく抱きしめる。

そんな生き方をこれからは選んでいこう。

 

みんな、進もうとしている。

それぞれの痛みや苦しみを抱えながらも歩こうとしている。*5

ひとはきっと、いつでも変化の一歩を必死に踏んで生きていく。

たくさんのものを抱えて、なお。*6

 

 


引用:

*1 Mrs. GREEN APPLE 「ナハトムジーク」

*2 2024年 株式会社双葉社 成田名璃子

『時帰りの神様』128/312

*3 2024年 フォレスト出版株式会社 宮増侑嬉

『すべて潜在意識のせいでした』ページ24/148

*4 2022年 株式会社小学館 町田そのこ

『宙ごはん』 ページ337/403

*5 2022年 株式会社小学館 町田そのこ

『宙ごはん』 ページ384/403

*6 2022年 株式会社小学館 町田そのこ

『宙ごはん』 ページ395/403

 

新しい光があたる場所

すべての命が望まれて生まれてくるとはかぎらない。

人生は平等じゃないから。

恵まれない環境で生まれてくる命もある。

それでも僕たちは願っている。

生まれてくるすべての赤ちゃんに祝福がありますようにと。

ようこそ この世界に。

生まれてきて おめでとう。

『コウノドリ』より

 

年の瀬の、世の中の誰もかれもが大忙しの時に私は誕生日を迎える。

ひとつ年を重ねるたびに思い出すのは、子供の頃に聞いた母のはなしだ。

年末の夜だったからか病院の中はしーんと静まり返り、分娩室にひとりで待たされるはめになった母は、もしかして自分は忘れられているのではないかと不安だったこととか、お正月を病院で迎えたこととか、母と同じ病室だったお母さんは元旦の日に男の子を産んだこととか。

「お正月にも赤ちゃんが生まれるの?」

まだ子供だった頃、驚いてそうたずねると、そりゃそうよと母は笑った。

「おせちと一緒にケーキも並ぶのって変じゃない?お年玉ももらうのに、その子ちゃんと誕生日プレゼントもらえるのかな」

私は顔も知らぬその彼の誕生日の心配をした。

きっと毎年クリスマスプレゼントをもらって日も経たぬうちに、誕生日プレゼントまでもらうことに、心のどこかで申し訳ない気持ちを感じていたからかもしれない。

晴れだろうと雨だろうと、雪だろうと嵐だろうと、両親が揃っていようといまいと、平和が守られていようと戦争の真っ只中だろうと、生まれてくるべき運命の命は、生まれてくるべき時に必ず生まれてくる。

生まれるべくして生まれてきたふたつの命の親となり、生まれることなく空へと帰ってしまった命を忘れられない私は、この事実に安堵し、この事実に胸を痛める。

人生は平等ではない。

 

今年もあっという間に一年が過ぎてしまった。

去年の今頃は新しい引っ越し先のこととか、子供たちの学校のこととか、私の転職先のことなど不安な気持ちを抱えながら新年を迎えた。

年が明け、さまざまなことが目まぐるしく変化していく中で気が休まることがなく、自分の人生のはずなのに『翻弄されている』という感覚が拭えなかった。

その時々で私のなかで首をもたげるのは「私が男だったら、もっと良い条件の選択肢があったのではないか」という思いだ。

『男だから 女だから』というものさしで自分の人生も、ほかのだれかの人生もはかるのはやめようとずいぶん前に決めたはずなのに、まだ心のどこかで『女だから損をすることが多い』という思いを抱えている。

人は自分が生まれてくる時代も国も環境も家族も性別も名前も、すべて生まれる前に決めてこの世に誕生するそうだ。

だとしたら、人生のさまざまな場面で目の当たりにする『不平等さ』さえもみずからの手で選んだものによる結果なのかもしれない。

だけどそのことを私はまだ素直に受け入れられずにいる。

 

「お前はあれだな」

先日わが家の遊びに来た父が言った。

「今は人生に打ち込むときなんだろうな」

『人生に打ち込む』なんて、面倒くさい響きの言葉だなと思う。

だけど…

目指すべき将来はわからないが、とりあえず自分に手が届くものだけを手に入れ、自分が行ける場所だけに足を運び続ければ、自分の生きる世界はひどく狭苦しいものになっていくだろうという危機感だけはある。*1

 

本当はわかっている。

たとえ私が男だったとしても、私は今と同じ場所にいるであろうことを。

問題なのは性別でもなければ、世の中の不平等さでもない。

昨日自分が与えられたものを、今日の感謝に繋げられない私の心もちが狭苦しい世界を作り出している。

 

ふりかえるひまもなく走り続けたけど、じぶんは今年、どんな景色を作ってきただろう。

思ったものが思ったようにできたとき、それはとても嬉しいものだ。

でも、思っていなかった形にできてしまって失敗かも、と思いながら、まてよ、ここをこうしたらだんだん好きになるんじゃ、と思うときもまた格別だ。 *2

 

誰もかれもが新しい年を迎える準備で忙しい年の瀬に、これまでの一年を振り返る。

明日昇る朝日は『一年の幕開け』という特別な意味をもって世界を照らすだろう。

新しい光があたる場所は、本当は自分で決められる。

来年は今年とは違う景色を作っていこうと心に決める。

 

今年も一年、本当にありがとうございました。

来年もみなさまにとって幸多き一年となりますように。

良いお年をお迎えください。

 

K9(PHIエッセンス)

希望を失わずに、目標を達成できるようにサポートするエッセンス。

とくに、目の前にあることが困難過ぎて、あきらめるしかないような状況のときに助けてくれます。

不要になった思考パターンを手放して生きる力を取り戻し、自らを癒す能力を高め、再び前進できるように導いてくれるでしょう。

 

 


引用:

*1 2020年 中央公論新社 寺地はるな

『架空の犬と嘘をつく猫』ページ44/218

*2 令和4年 株式会社幻冬舎 吉本ばなな

『BANABA DIARY2023-2024 生きていく』

*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』99ページ

 

もしも過去に戻れるならば

なんだかなぁと心の中でつぶやく。

帰宅ラッシュのバスは、疲れた顔をした人たちでひしめき合っている。

引っ越しをしたあと、新しく決まった職場には駐車場がないためバスで通うことになった。

どこに行くにも自分で運転をして移動することに慣れている私は、バスなんて学生の時以来だなと少々げんなりしたけれど、慣れてみるとなかなか快適じゃないかと手のひらを返したような感想を抱くようになった。

窓の外では街の明かりがびゅんびゅんと通り過ぎていき、私はそれをぼんやりと眺めている。

なんだかなぁともう一度心の中でつぶやいた。

なんでこんなにモヤモヤした気持ちなのか、もっと、しっかり自分の心と対話をするべきなのだろう。

だけど、「なんだかなぁ」から進まない。

いや、モヤモヤの原因を本当はわかっている。

私は10年働いた前の職場に戻りたい。

正直に告白するのであれば、本当はあの仕事を辞めたくなかった。

引っ越しをすると決めたのは自分のくせに今さら何を言っているのだと、自分でも思う。

仕事があることは有難いことだし、私の年齢で再就職先が見つかるなんて本当に恵まれている。

だからこそなおさら「なんだかなぁ」の先にある自分の本音にふれたくない。

家に帰ったらウォルナットハニーサックルのエッセンスを飲もうと思いながら、イヤホンを耳につける。『imagine if』*1という曲が流れてくる。

 

もしも過去に戻ることができて、もう一度やり直すことができたならば

もしも人生を映画のように巻き戻せたならば

もしも明日が昨日になるならば

 

このような歌詞を聴きながら、もしも過去に戻れるならば、いつに戻りたいかなんて分かりきったことだとはっきりと思う。

私は祖母がまだ元気に生きていた頃に戻りたい。

 

祖母だって聖人だったわけではないだろう。

きっと悩みだってあっただろうし、意地悪な気持ちになったことや、誰かを羨ましく思い嫉妬をしたことだってあっただろう。

だけど、祖母と過ごした時間はいつもあたたかく、私は自分のおばあちゃんが祖母で本当に良かったと子ども心に何度思ったことかわからない。

 

あるときインスタで、私と同じくらいの年齢の方が、おばあさまのお誕生日のお祝いをしている投稿が目に留まった。

96歳という年齢を見て、私は反射的のムッとすることを止められなかった。

私の祖母だって元気に生きていればたしか同じくらいの年齢だったはずだ。

あぁ、そうかと思った。

本当は、私は祖母にとても怒っているのだ。

どうしてずっと傍にいてくれなかったのか。

どうして私が大人になるまで、また大人になったあともちゃんと元気で一緒にいてくれなかったのか。

どうして変化を受け入れられずにいる私を「大丈夫、みきちゃんならできるよ。一緒に見といてあげるからやってごらん」といつものように励まして、優しく見守ってくれないのか。

 

祖母が亡くなって、私はうまく息ができなくなるほど悲しみに悲しんで、泣きに泣いた。

私のその姿を見て「おばあちゃんが無事に天国に行けなくなって困らせてしまうから、悲しんで引き留めるのはやめなさい」と母が私を諭した。

自分だって祖母を失った悲しみで、私以上に苦しんでいたのに。

だからあの時は悲しみに力ずくでフタをしたけれど、本当は、私はいい年をした今でも祖母に会いたくて、甘えたくて、私のはなしを聞いて欲しくて、一緒に喫茶店でケーキを食べたくて、だから本当は怒っている。

神様が決めた寿命という名のもとに、私のもとから去ってしまった祖母が恋しくて、私は怒っているのだ。

私が見ないようにしている「なんだかなぁ」の先にある思いはきっとこの怒りだと思う。

 

家族というものはな、そのなかに、たった一人でも不幸な者がおると、皆が揃って不幸になってしまうという、じつに理不尽な掟で結ばれた者同士のことを言うんじゃ。

逆に言うと、家族のなかの一人が幸せになるためには、他の全員も幸せでなくてはならん。*2

 

もう実際に会うことは叶わないけれど、私と祖母はいつまでも家族だ。

だって、祖母の存在が今でもこんなにも私の毎日に影響を与え続けているのだから。

『理不尽な掟で結ばれた』祖母には天国でも幸せでいて欲しい。

だから私は「なんだかなぁ」を乗り越えて幸せにならなければならない。

 

モンガワラタ(オーストラリアンブッシュフラワーエッセンス)

心が弱くて一人では何もできない、現状から抜け出す気力がないなど、否定的な無力感に覆われているようなときに助けてくれるエッセンスです。

人間関係で息苦しいと感じているときにも良く、他人への依存状態から抜け出したいときにも役立ちます。*3

 


参考:

*1 【和訳】gnash「imagine if」【公式】

引用:

*2 2015年 株式会社小学館 森沢明夫 『ライアの祈り』ページ285/371

*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵 『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』143ページ

鼓動の速さ

私が高校生になったばかりのころ、一匹のうさぎがわが家にやって来た。

この子のことを私と弟は“つうやん”と呼び、つうやんは「一匹」ではなく、家族の「ひとり」となった。

ソファーの上でうとうとしているつうやんの体に顔をくっつけるとトットットットットットッと駆け足のような鼓動が聞こえてくる。

どんな哺乳類も、一生のあいだに打つ鼓動の回数はだいたい同じだと小さい頃に読んだ本に書かれてあった。

体が大きな動物の鼓動はゆっくりで、それがゆえに寿命が長く、体が小さければ小さい動物ほど鼓動が早く、寿命が短いそうだ。

なんて怖い話なんだろうとそのとき思った。

心臓が一拍するたびに、一拍分の寿命がなくなってしまうなんて。

「つうやん」

すべすべとした柔らかい毛で覆われた小さな頭と長い耳を撫でながら話しかける。

「ゆっくり年をとって、元気で長生きしてね」

 

それから何年も経って、私は高校生でも大学生でもなくなり、社会人になった。

つうやんは白内障で目が白くなっても頑張って生き続けていた。

若い頃にはむちっとしていた体も、撫でると骨ばっているのがわかったし、毛も以前のような艶やかな輝きを失っていた。

庭中をもの凄い勢いで駆け回って遊んだり、庭の至るところの土を掘り返したりするつうやんの姿を見ることもなくなった。

きっと目がよく見えなくなってしまっていたのだと思う。

ソファーの上で日向ぼっこをしているつうやんのまわりで時間はゆったりと流れているように見えたけど、つうやんの心臓は相変わらずトットットットットットッと駆け足で鳴り続けていた。

喉の奥がぐうっと苦しくなった。

一生分の「心臓の音」を使い果たしてしまいそうになっているつうやんの姿を見て、どうして悲しまずにいられようか。

 

二歳年下の弟は中学生になるとぐんぐんと背が伸び、それに比例するかのようにもの凄い勢いでモテ始めた。

少なくとも私の目にはそう見えた。

たとえば体育祭とかマラソン大会などの学校の行事で、私と同じクラスの女子が「Sくん、頑張ってー!」とだれかのことを応援していて、弟と同じ名前の子が他にもいるのかとぼんやりと見ていたら、目の前を弟が走っていてぎょっとした。

弟の写真が欲しいと私に言ってくる人まで現れる始末で、弟は弟でしかないのに、だれかから異性として見られていることに対する違和感と嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

それと同時に腹立たしさも感じていた。

いつだって人の中に埋もれてしまい、その他大勢のひとりでしかいられない私の気持ちなど弟にはわかるまい。

同じ親から生まれてきたにも関わらず、なぜこれほどまでに不平等なのか。

チッと心の中で舌打ちをした。

この苛立ちと不満の矛先は、当然のように弟と母と父に向けられた。

弟には意地悪なことをたくさん言い、母には心無い言葉を投げかけ、父には拒絶の意思をはっきりと態度で表した。

私は忙しかった、不遇な自分の人生を憐れむことに。

心の中では嫉妬とか怒りとか恨みなどが渦巻いていて、あの頃の私の心の中を色であらわすならば、赤とか青とか黒とか茶色などが乱暴に混ざり合った、救いようのない色だったと思う。

そんな心の色が映し出す現実が美しいものであるはずがないのに。

 

「たとえば、あと十年生きるとするでしょう。一年に一回、お正月の時に子どもと会うから、そう考えると私があの子に会えるのはあと十回しかないのねと寂しく思う時があるのよ」

以前、職場の上司がこう話していた。

彼女は70代だったけど、とても若々しく元気で、新しいものを積極的に取り入れ、ずっと現役で仕事を頑張るとかねてより話している人だった。

「あと十年だなんて、もっとずっと長生きしますよ」

そう彼女に言いながら、一年に一回しか家族と会えないとはそういうことなのかと改めて気づく。

 

あれっと思ったら、息子の身長が私を越えていた。

息子は「よし!あとはおじいちゃんとSおじちゃんを越すだけだ」と意気込む。

私は微笑ましく思いながら「Sおじちゃんの壁は高いからなー、頑張って越えていけ」と言う。

娘と息子がどうでもいいことで小競り合いをしているときもあるし、ちゃんと勉強をしなさいと私が息子に懇々と説教をするときもある。

私なりの家事のこだわりについて「ママの変なルールがめんどくさい」と子供たちが苦情を言うときもあるし、娘か息子のどちらかが晩ご飯を作ってくれる夜もある。

毎日が同じように過ぎているように見えるけど、本当は変化が少しずつ、「同じような毎日」に含まれていることに私は気づいている。

 

少し前に弟が両親に会うために実家に帰っていて、三人で撮った写真をLINEで送ってくれた。

三人とも笑顔で写っていて、楽しそうなのが手に取るようにわかる良い写真だった。

だけど私は言いようのない悲しさに襲われた。

それは私がその写真に一緒に写っていないからではなく、父と母と私と弟の家族四人で毎日をともにする時間はとっくのむかしに終わってしまっていて、その大半の時間を私は怒ったり、恨んだり、傷つけたりして過ごしてしまったことを今更ながらとても後悔したから。

本当はいつだって大切にされていて、大事に育てられて、愛されていたのにどうしてもっと早くそのことに気がつけなかったんだろう。

 

あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?

伊坂幸太郎

 

あとどれぐらい生きるのかなんて分からない。

それこそ「神のみぞ知る」だ。

だけど私は子供たちの成長を見守りながら、いつでも一番の味方でいてあげたいから、やっぱり長生きをしたい。

これまでに受けたたくさんの愛情を今度は私が返せるように頑張るから、両親にも長生きをして欲しい。

弟にも義妹にも長生きをして欲しい。

今度弟に会うときは、これまで優しくできなかった日々のことを謝ろう。

私たちはお互いを助け合うために同じ親を選んで生まれて来たのに、弟が一方的に私に優しいだけだったから。

 

私の鼓動はつうやんのようには早くない。

だけど月日は駆け足のように過ぎていく。

だから大事なことを見落とさないようにしないと。

人生は永遠には続かないのだから。

 

ユカリはラジオに耳を傾けながら、自分にとっての幸せとはなんだろう、と考えた。

考えたけど、わからなかった。

でも、考える必要なんてなかったのだ。

幸せな瞬間は、いつもこの家にちゃんとあった。

この日々こそが、幸せそのものなのだ。

そのことに、いままでただ気づいていないだけだったのだ。*1

 

プリムローズ(PHIエッセンス)

人生が思い通りにならないのは、他人のせいだと嘆いている場合に良いエッセンス。

そんなマイナスの思考を生むエネルギーのブロックを取り去り、スムーズに流れるようにサポートします。

自分の人生のドラマは自分で作り上げているという信頼を回復します。*2

 

ウィロウ

人生は不公平で、自分だけが不幸な境遇でかわいそう、と自己憐憫でいっぱいになっている場合に良いエッセンス。

現在の自分は自分の意識が作り出していることに気づかせ、被害者意識を手放し、自分の運命を決めるのは自分だと確信が持てるよう促します。*3

 

ティベタンロックローズ(PHIエッセンス)

自分への信頼を育み、今の自分をあるがままに受け入れ、愛せるように助けてくれるエッセンスです。

そうすることで、自分自身へのコンプレックスを手放すことができ、自信、生きる喜び、生きる力を強く持てるようにサポートしてくれます。*4

 


引用:

*1 2023年 株式会社徳間書店 八木沢里志

『きみと暮らせば』ページ243/260

*2 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』138ページ

*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』138ページ

*4 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』134ページ

あなたが選ぶことでそれが・・・

うーん、困ったなぁと当時小学生だった私は独りごちた。

星座を観察する宿題が出ているのに、家のベランダからだと目の前にある木やら家などが邪魔で、先生から言われた星座がちっとも見えない。

父にそのことを話すと「もっとひらけた場所じゃないと無理だろ。よし、じゃあ総合グラウンドに行くぞ」とさっさと車のカギを手にしていた。

「え、今から行くの?」そう言いながらも思いがけない夜の外出のチャンスに私の心はわくわくしていた。

 

「子供はね、夜、外に出るもんじゃないよ。暗くなると外にはいろんなものがウロウロしているから」と祖母が話していたのを思い出す。

「いろんなものって?」と尋ねても「いろんなものはいろんなものだよ」としか教えてくれなかった。

だからというわけではないけれど、たとえば外食やなにか特別な用事がない限り、子供の頃夜に外出する機会はめったになかった。

 

総合グラウンドの駐車場はだだっ広く、ぽつぽつと規則正しく並んだ外灯が灯り、虫の鳴き声やもわっとする蒸し暑さが広がっていた。

日中は市民プールに泳ぎに来た人たちの車や自転車で賑わっているのに、夜の駐車場はがらんとしていて、暗闇がさらに強調されているように感じた。

祖母が話していた得体の知れない「いろんなもの」がどこからか突然出てきそうな錯覚に陥って私は怖くなった。

 

「おい、どの星座を見つければいいんだ」夜空を仰ぎながら父が言った。

えっとねと言いながら私は父の腕にぴったりとくっついた。

 

お父さんといれば大丈夫だ。

だってお父さんは強いから。

お父さんは体も大きくて力持ちで、お父さんなら必ず私を守ってくれる。

 

私は父のことを「男らしい人」と認識していたと思う。

きっと時代のせいもあったと思うし、私が育った環境が田舎だったということもあると思うけれど、「男は男らしく、女は女らしくあるべきだ」という価値観を私も子供なりに持っていた。

 

「お父さんは男の人だからご飯を沢山食べる」

「お母さんは女の人だから、外では仕事をせずに家で家族の世話をする」

「男の人は女の人より体が大きくて、力も強い」

「男ならめそめそするな」

「女は男から守ってもらわないといけない」

 

『男は男らしく、女は女らしく』

たとえば学校とか、家の中とか、親戚の集まりとか、公園で友達と遊ぶ時とか。

この言葉はまるで透明な薄い膜のように、私たちの何気ない日常に何気ない顔をしてぴったりと貼り付いていて、私はそのことを当然のこととして受け入れていた。

 

大学で友達になったM君は心と体の性別が同じではない人だった。

「ねえ、日本人でしょ?あたしもよ!よかったー、同じ日本人の子がいて。ねえ、仲良くしてね。お互い助け合っていこうねー」とクラスの初日に話しかけられたのが仲良くなったきっかけだった。

英語が上達しないから日本人とは仲良くしないという考えの子もちらほらいたけれど、私は断然『日本人と仲良くする派』だった。

自分の英語力にはまったく自信が持てなかったし、同じクラスに日本人の友達がいるなんて、自分の母国語で話せる相手がいるなんて、こんなに心強いことはないといつも思っていた。

だから新しい学期の授業が始まって、初めて取るクラスに行ってみると日本人が見当たらずハラハラしていた時にM君が話しかけてくれて心底ほっとした。

M君は料理が得意で、涙もろくて、イケメンアンテナをいつも張り巡らせていて、提出期限までにレポートの課題が終わりそうもないとよく電話をかけてきた。

「ねえ、どこまで進んだ?あとどれくらい?あたし全然終わりそうにないの。今からあんたんち行くから一緒に徹夜しよう。勝手に寝ないで待っててよ!」

一方的に電話を切ると夜中に家にやって来た。

M君は生まれ持った体は男の子だったけど、心は女の子で、私が持っていた『男は男らしく、女は女らしく』の価値観にまったく当てはまらなかったけど、私は彼のことをひとりの人として、ひとりの友人として好きだった。

 

「あたしはさぁ、日本には帰れない」ある時、M君がそう言った。

私が「大学を卒業したらすぐに日本に帰るんだ。そしてコンビニも満喫するし、人種差別からも解放されるし、本屋に行って好きなだけ日本語の本も買うし、日本人の親切さも噛みしめるんだ」と話したあとのことだった。

「あんたはさ、日本に帰って、就職して、結婚して、きっと子供も産むんでしょ。でもあたしはそんな人生歩めないもの。あたしって親が年取ってできた子なの。だからあたしがこんなだって、年取った親にむかって口が裂けても言えないよ。あたしなんかが日本でうまく生きていけるわけないのよ」

マルボロメンソールの煙を吐き出しながらM君はそう言った。

 

M君は『あんたなんか』と言われていいような人間じゃない。

だから自分のことをそんなふうに言うのはやめなよ。

そう言おうと思ったけど、やめた。

その代わりに「ふぅん、そっか」と私は言った。

どんな言葉を私が選ぼうと、けっきょくM君を傷つけるだろうと思ったから。

 

いや、ちがう。

 

『男は男らしく、女は女らしく』

どんなに上手く隠したと思っても、私に貼り付いているこの価値観がM君にも透けて見えているのかもしれないという後ろめたさがあったからだ。

だから「もっともらしい」ことを言うのが躊躇われたのだ。

 

『あなたが選ぶことでそれが正解になる』

最近ドラッグストアで目に留まったキャッチコピー。

私はあの時、この言葉を彼に伝えることができれば良かったのかもしれないと思った。

『男は男らしく、女は女らしく』 私はもうこの価値観を信じてはいない。

私たちひとりひとりが、それぞれの運命を生きるなかで、だれの人生も「男だから」「女だから」と簡単に仕分けできるものではないということがわかったから。

 

年を重ねるごとに疎遠になってしまったM君は今頃どうしているのだろう。

イケメンで優しいパートナーと幸せに暮らしていると良いなと勝手に思う。

 

 

くるみフラワーエッセンス(シャンドゥルール)

硬い殻で身を守っているくるみの姿のように、周りの影響から私たちを守り、変化の波に乗れるように助けてくれます。過去のしがらみから抜け出し、周りの影響を受けずに自分の意思で進む道を決めることができるようになります。

 

アルパインアゼリア(アラスカンエッセンス)

「自分を受け入れる」ことをサポートするエッセンス。容姿、性格など、自分の一部分を受け入れられない人に役立ち、自分を受け入れて自然と自信を持てるように働きかけます。その結果、他人も受け入れられるようになり、異なる才能の人と協調して物事に挑めます。*1

 

ブルーベリーポルン(アラスカンエッセンス)

ブルーベリーの花粉から作られるエッセンスで、心の深いところへ強く働きかけます。人がこれまで信じてきたこと、こだわってきたことから解放されたいときに後押しし、本当の「豊かさ」を得られるようにサポート。その結果、自分の望んでいる新しいエネルギーの流れにつながりやすくします。*2

 


引用:

*1 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』87ページ

*2 2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』89ページ

 

小さな種

裏庭ではスペイン語の音楽がなかなかの大音量で流れている。

バーベキューの煙が立ち上り、あちこちから笑い声が上がっている。

ビニールのテーブルクロスが掛けられたテーブルの上には、アルコール度数がとても高いお酒とか、アルミ製の大きな容器にドカッと盛られたさまざまな料理とか、果物とか、デザートなどが所狭しと並べてある。

私のルームメイトのPは私と同じ年のコロンビア人で、私たちは同じ大学に通っていた。

諸々の事情により、Pのおばさん家族やらおじさん家族が次々とアメリカに移住して来て、もう「一族」と呼んでもいいのではないかというほどの数の親族がこの国で暮らした。

そのため、誰かの誕生パーティーやらバーベキューパーティーなどが頻繁に開かれていて、Pに連れられて私もよく参加していたのだ。

今回のパーティーの主催者であるPのおばさんを見つけて挨拶に行く。

おばさんは逞しい両腕を広げて、ぎゅーっと私を抱きしめる。

「相変わらずひょろひょろね。またお菓子ばっかり食べているんでしょう。ちゃんとご飯を食べなさい」そう言うと紙皿を手渡しながら「たくさん食べるのよ」と念を押してくる。

お母さんみたいだと、胸にあたたかさを覚える。

 

小学生のPのいとこが「おい、Miki!」とプールのほうから叫んでくる。

「見とけよ!」と言うと、プールの縁からぴょんっと飛び上がり、空中で一回転して水の中に飛び込んだ。

水から上がって来ると「すっごいだろう!」と得意げに言ってくる。

たしかにすごいけど、それよりもその強めな物言いがひっかかる。

だけど、と思い直す。

彼は「移民の子」としてアメリカの学校に通い、これから先何年も、なんとかうまく生き残っていかなければいけないのだ。

これくらいの強さはやはり持っておくべき資質なのだろう。

 

音楽に合わせてサルサを踊っている人たちもいて、本当に上手だなと見とれていた。

Pの話によると、みんな子供の頃から大人たちが踊っているのを見ているので、自然と踊れるようになるそうだ。

たしかに環境が与える影響は大きいだろう。

だけどきっと「血」だと私は思った。

私の中には明らかにないものが、彼らの中にはたしかにあった。

 

Pの親戚のおじいちゃんが、おばさんや小さな女の子など、相手を代えながら楽しそうに踊っている。

おじいちゃんは冗談を言うのも上手らしく、おばさんたちは大きな声で笑っている。

まるで映画の中の世界のようじゃないかと思う。

日本でこの光景はまず考えられない。

あのおじいちゃんの年齢になって海外への移住はきっと大変なことだっただろう。

それにも関わらず、苦労などをまったく感じさせない、あのたくましいほどの陽気さもやはり「血」なのだろうかと考える。

 

日々の生活こそはすべてのものの中心なのであります。

またそこに文化の根本が潜みます。

人間の真価は、その日常の暮らしの中に、最も正直に示されるでありましょう。

柳 宋悦 *1

 

Pはホットチョコレートにチーズを入れて飲み、(コロンビアの飲み方で、とてもおいしい)私は食後に緑茶を飲む。

冷蔵庫の中では「アメリカでは売ってない貴重なものだから!」と彼女が強く言う、コンデンスミルクを煮詰めてできたキャラメルのようなものの隣に、私の貴重品である高級梅干しが並んでいた。

「コロンビア人だからドラッグを売って生活してるんだろう」と学校で言われたと彼女は冗談を交えながら笑って話し、お店で知らない人から「イエローのくせに」と一方的に理不尽な暴言を吐かれたと私はめそめそ泣いた。

彼女はクラブに行くのが好きだったけど、私は「安全」を約束された場所が好きだった。

物事の捉え方も好きなこともまったく異なる私たちは、外国人として異国の地に存在し、良いことがあった日も嫌なことがあった日も、帰る場所はあのアパートだった。

 

人でも物でも、一度でも出会ったらご縁があったってことだ。

縁っていうのはさ、種みたいなもんなんだよ。

小さくても地味でも、育っていくとあでやかな花が咲いたりうまい実がなったりするんだ。

種のときは想像もつかないような *2

 

彼女も私も大学の卒業を迎え、私たちの「ルームメイト」という名の共同生活も幕を閉じた。

もともとの性格とか、生まれ育った環境とか、受け継いだ文化などが大きく異なる私たちの暮らしの中心にあったものは、きっと『縁』という名の小さな種だったと思う。

この小さな種から芽生えた日々は、幼さと、わがままさと、いい加減さと、葛藤と、「若さ」がゆえに持ち得る強さと、「愛されている」ことを知っているがゆえに持ち得る陽気さに満ち溢れたものだったと思う。

 

いつも凛とした佇まいで、堂々としていて、小さなことなど気にしない彼女は、例えるならば、椿の花のようだったと思う。

椿のフラワーエッセンスを目にすると彼女と過ごした日々が思い出される。

 

 

椿フラワーエッセンスは、堂々とした美しい女性をイメージさせるエネルギーです。

椿の散り際の潔さには、細やかなことにこだわらず、ケセラセラ、なんとかなるさと前向きなイメージがぴったりです。

これまで持ち続けてしまった不要な羞恥心を外すことで、自分に誇りを持つことができるようになります。

流れに身を任せるしなやかさと、揺るぎない自信が、外側に現れる強い魅力につながります。

椿フラワーエッセンスをとることで、自分の人生は自分が主役であることを思い出すことができるようになるでしょう。*3

 


引用:

*1 2024年 株式会社マガジンハウス 『アンド プレミアム2024年9月号』41ページ

*2 2023年 株式会社 宝島社 青山美智子 『月曜日の抹茶カフェ』ページ13/178

*3 2022年 株式会社彩流社 YOKOKO 『「花の波動」で幸せな人生を手に入れる』193ページ

本と言葉と重さ

立ち直るきっかけをくれるのはいつも「重さ」をもった誰かの言葉です。*1

よく「一冊書くのにどれくらいかかりますか?」と質問されますが、一冊の本を書くためには、人生でこれまで経験してきたすべてが必要なのです。

だから今なら「五十一年」としか答えようがない。

それだけ、本の言葉には「重さ」があるのです。

だからもし、人生のどこかで転んだり、どん底に落ちたり、どうしていいかわからなくなってしまうようなことがあって、誰にも相談できず一人苦しんでいるなら、本屋にいくといい。

立ち直るきっかけをくれる「重さ」をもった言葉が詰まった本がそこにはたくさんあって、あなたに読まれるのを待っています。*2

 

たとえば私たちは、だれかにかけてもらったほんの小さなひと言で心が軽くなったり、頑なに閉ざしていた心を開いたりすることがあります。

人生では、すべての希望が口を閉ざしてしまったように感じる時があります。

だけどそんな時だからこそ交わす言葉、出会う言葉、与えられる言葉があるのも事実です。

 

『読書セラピー』という言葉を知ったのはつい最近のことです。

読書療法やビブリオセラピーとも呼ばれ、「書物による病気の治療法」として精神疾患の患者に本を処方することが、イギリスでは代替医療として政府により認定されています。

 

イギリスでは従来の医療への代替策として読書セラピーが活用されてきました。

ウエストヨークシャー州カークリーズの家庭医は、うつ病の発作やストレス、不安に悩む患者を地元の図書館の読者セラピストに照会します。

すると読者セラピストである司書は患者と面接して現状や読書歴を聞いたうえで図書館のデータベースを検索して、それぞれの患者の病気を緩和させるための、いわばオーダーメイドの本のリストをその患者のために作成します。

かかりつけ医から薬も処方されますが、併せて本も処方されるのです。*3

また、“Reading Well”と呼ばれる取り組みで、2013年から導入されたプログラムでは、中・軽度のうつ病、パニック障害、過食症などの精神疾患に苦しむ患者を対象とし、患者の症状に合わせて、30冊の指定図書の中から適切な本を医師が処方します。

患者は薬局ではなく、図書館へ行って処方された本を借りるのです。

このプログラムは、図書館の取り組みとして国内外の図書館から高い注目を浴び、イギリス全土のほぼすべての図書館に導入されました。*4

 

イスラエルでは読書療法家が国家資格になっていて、精神科医や他の専門家がどうしていいかわからないときの、いわば最終兵器として読書セラピストが頼りにされているそうです。*5

 

物語の中で描かれているさまざまな人たちの生き方に、自分の人生のかけらを見つけることがあります。

たとえ置かれている状況や時代や国が違っても、描かれている彼らの心情に「あのとき」の自分を重ねて見ることがあるのです。

人は、物語の登場人物に感情移入して涙を流すとき、本当は自分のために泣いているのだそうです。

心が動かされるもの、気持ちが揺さぶられるものに「あのとき」の悲しみを垣間見たり、「あのとき」気づけなかった愛情を見つけたり、「あのとき」のやるせなさはこんなふうに言葉にして表現できるのかと、やっとわかることがあります。

たとえば悲しみとか喪失とか涙とか、そういうものを積極的に自分の人生に招き入れたいと思う人はあまりいないでしょう。

だけどそれらを乗り越えた先には必ず「変容」が待っていて、私たちは、もっと強く、もっと賢くなってこの世界を見つめることができます。

 

どんな状況も、私たちには、良い悪いとすぐにジャッジすることなんかできないのかもしれない。

物事はいつも、ただ起きる。

そして私たちは、起きていることが自分にとって「いいこと」になっていくようにと、願い、信じ、行動するだけだ。*6

 

自分にとって本当に必要で大切なものを引き寄せたい時におすすめなのは、ナウパカフラワーエッセンスです。

きっと、今のあなたに必要な「重さ」を持つ言葉を届けてくれるでしょう。

 


引用:

*1 2022年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 喜多川泰 『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』ページ354/357

*2 2022年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 喜多川泰 『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』ページ355/357

*3 2021年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 寺田真理子 『心と体がラクになる読書セラピー』 ページ56/190

*4 2021年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 寺田真理子 『心と体がラクになる読書セラピー』ページ56/190~57/190

*5 2021年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 寺田真理子 『心と体がラクになる読書セラピー』ページ61/190

*6 2022年 株式会社ポプラ社 青山美智子 『月の立つ林で』 ページ220/2

名前に込められた想い

「なんで私、この名前なの?」

あれはいつのことだっただろう。

あるとき母に尋ねたことがある。

もう祖父母の家では暮らしていなかったから、小学三年生くらいだったのではないだろうか。

「どうして?」

突然の質問に質問で返された。

私はむしゃくしゃしていた。

あの日はいつものごとく同じ年のいとこと喧嘩になり、いつものごとく私が負けた。

彼女は容姿にとても恵まれていて、それだけでなく名前も可愛らしい。

子どもだけでなく、まわりの大人たちも彼女が放つキラキラとしたものに惹かれているさまが私を苛立たせる。

彼女に勝てるものなど私にはない。

羨ましくて妬ましい。

大嫌いなのに、私も彼女みたいになりたいと思う。

けっきょくは私も彼女に魅せられるひとりでしかなかった。

 

「名前はね」と母が続ける。

「お父さんがつけてくれたんだよ」

それを聞いて、あぁやっぱりかとがっかりする。

仕事で不在がちの父。

久しぶりに家に帰ってきたかと思えば、厳しくて、荒々しくて、声も無駄に大きく、怒られていても、褒められていても、体が強ばる。

私はいつの頃からか父に対して無邪気な気持ちを持つことをやめ、心を向けることをやめていった。

「お父さんね、絶対この名前だって言ってね。漢字もこれに決めているけど、画数は大丈夫だろうかって一生懸命調べてたよ」

フンと心の中で鼻を鳴らした。

目に見えるもの、触れられるものしか信じないくせに姓名判断は気にするのかと小馬鹿にした。

だったらもっと可愛い名前にして欲しかった。

こんなありきたりな名前じゃなくて、あの子の可愛さに勝てるようなオシャレな名前にして欲しかった。

 

まだ子どもだった私は、守るべきものを持った経験もなければ、自分が守られていることにすら気づいておらず、知らないことがたくさんあった。

 

名前は親から子への最初の贈りものだと言われています。

苗字が変わることはあっても、よほどのことがない限り名前は生涯を通して私たちを表わすものとなります。

生まれてくるわが子が、運命とどのような契りを交わし、この世に生を享けてくるのか。

そんなこと、親にはわかりようがありません。

けれども、だからこそ願わずにはいられないのでしょう。

この子にたくさんの良きものが与えられますように。

手にすべき幸運を掴み取ることができますように。

たとえ躓くことがあっても立ち上がる力を持てますように。

まわりの人たちを大切にし、多くの人たちから愛されますように。

いつも光がある場所にいられますように。

たとえ暗闇の中に迷い込むことがあったとしても、光を見出す力を持てますように。

希望の光が絶え間なくこの子を照らし続けますように。

いつか親のもとを離れ、そばにいて守ってあげることができなくなっても、この子に贈るこの名前に込めた幾多の想いが、この子を守ってくれますように。

 

歯医者さんの診察台に座って先生が来るのを待つ間、ぼんやりとモニターを眺める。

レントゲンの写真の上に小さく自分の名前が記されていることに気づく。

良い名前をつけてもらったんだなと思いながら見つめていると、急に泣き出したい気持ちになって慌てて気持ちを抑え込む。

嫌いなのに大切な人。

父に対するこの気持ちをいったい何と呼べばいいのだろう。

父は愛情を表すのがあまりにも下手だったけど、きっとたくさんの願いと愛を込めて私にこの名をくれたのだろう。

 

この世には見たいけれど見られないものがたくさんあって、気持ちはつのるばかりだ。*1

 

君が幸運と成功の要因を手にしますように

君が自信を持って常に最善を尽くせますように

努力なんかしなくても、大きな心でいられますように

幸せという言葉の意味が、君に伝わりますように

胸の奥で響くビートが常に君を導いてくれますように

大切なゲストのような待遇を君に

心安らかに、ひと息つけますように

君の今日の最高が、明日の最低になりますように

先行く人の少ない道が、君の進路となりますように

君が傷つけることになるハートに乾杯

君が変えることになる人生に乾杯

君を愛する方法は無限にある

君にすべてを手にして欲しい

共に過ごすことになる楽しい時間に乾杯

君がいないと僕は悲しくなる この事実に乾杯

すべてが君のものになりますように

ダイヤモンドのようにピカピカの賞をいくつももらえますように

一瞬、一瞬が確実に君のものになりますように

何もかも手に入れて欲しい

思いつくものすべてを

どんな道を進もうとも

信じていれば何だって起こりえるから

何もかもが君のものになりますように *2

 

サンフラワー(アラスカンエッセンス)

父親の子供に対する愛情表現が下手なことが原因で、子供が本来の明るさを発揮できないときに役立ちます。

父親と子供の両者で使用することをおすすめします。

また、父親が留守が多く、十分なコミュニケーションを取れない子供の支えにも良いでしょう。*3

 


引用:

*1 平成25年 株式会社幻冬舎 よしもとばなな

『まぼろしハワイ』 ページ10/196

*2 【和訳】Jason Mraz「Have It All」【公式】 (youtube.com)

*3 2010年 株式会社河出書房新社 中村祐恵

『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』156ページ

 

強みや才能を見つけるには

ツイッターを開き、いつもの顔ぶれのつぶやきを流し見する。

パンケーキと空と室内犬の写真と、海外で大地震があったことと日本の政治批判とブラック企業に対する問題提起と、アイドルの熱愛発覚とドラマの感想とお笑い芸人の下ネタと、眠いとかおなかがすいたとか頭が痛いとかいう個人的な体調報告と、べつに知りたくもないショップの広告がびっちり並んでいた。

スクロールさせると、するするといくらでも流れる。

これが世界だ、と僕は思う。

絵本に出てくるようなパンケーキとくだらない下ネタと何万人も死者が出た天災が、同じ箱の中で隣り合っている。

僕が何もしなくても、世界は動いている。

僕が何も書き込まなくても、コンテンツを読むだけで一日が終わる。

僕が何かを考えたり生み出したりする必要なんて、どこにもない。

やりたいことがなくったってそれなりに楽しく暮らせるんだから、必死になって仕事の意義とか目標とか見つけなくたっていいような気がする。

ずっとそう思っていた。

だけど……。*1

 

「世界最高齢のプログラマ―誕生」とCNNで報じられたことがある、若宮正子さんのインタビュー記事を何年か前に読んだことがあります。

若宮さんは81歳のときにプログラミング言語「Swift」をゼロから学び、ひな壇に男雛や女雛を並べるゲームアプリ「hinadan」を開発しました。

60歳までは銀行に勤務し、定年前に人生初のパソコンを購入。

そして、会社が休みの週末に自力でパソコンの接続を試み、三か月後にやっと繋ぐことができたそうです。*2

この記事を読んで、尊敬の念を覚えると同時に、きっと彼女だからできた事なのだろうと思いました。

もし私が彼女と同じ立場であれば、よく分からない機械の接続作業など難しすぎて、三カ月どころか三日で音を上げ「どうせ私には無理ですよ」といじけていたはずです。

さらに、80歳からプログラミングを学び、アプリの開発をするという偉業を成し遂げたのは、彼女が最初から特別な人だったからだと思いました。

誰にも彼にもできるようなことではないと思ったのです。

 

こういう人って、初めからなにかスペシャルなんだろうな。

神様に選ばれた人なんだ、きっと。

神様って、どういう基準で人を選んでるんだろう。

やっぱり、この世に生まれる前から成功する人は成功するように決めてるのかな。

だったら最初から、そう教えてくれればいいのに。

おまえなんか選ばないから気楽にやれよって。*3

 

特別な才能や秀でた能力を持っていたり、何らかの形で『成功』したりしている人たちを目の当たりにするたびに、あの人たちは私とは違うと思っていました。

生まれながらにして与えられているものが私とは違う。

だから私が同じようにできなくても仕方のないことなのだと。

いくらそう開き直ってみたとしても、自分の心の中をのぞいてみると、どうして私もあのように出来ないのかと自身の不甲斐のなさを嘆いていました。

表向きは平気なふりをしていても、心の中にやり場のない思いを抱えているから、頭の中で自分に言い聞かせている言葉と本当の気持ちがちぐはぐだったのでしょう。

けれどもある時、「あの人はいいな。この人もすごいな」と、人が持っているものばかりに目を向けて羨ましがるばかりで、自分が持っているものは何なのか真剣に探してみようと一度もしていないことに気がつきました。

 

自分の強みや才能を見つけるには、憧れている人を5人選び、その人たちのどこが好きで、どのようなところに憧れているのか書き出すといいそうです。

そうやって掘り下げて出てきた言葉が自分の強みや才能をあらわしていると言います。*4

 

このことを知ったときに、子どもの頃に学校で習ったあぶり絵のようだと思いました。

何も描かれていないように見える紙に熱を加えると、事前にレモン汁で描いた絵が浮き出てきます。

いくらこの白紙に絵が描かれていると知っていても、実際に目で見て確かめることができれば納得の度合いが大きく変わるものです。

 

いっけん空っぽのように見える自分自身に目を向け、心を向けることであぶり出される言葉たち。

これらの言葉によって映し出される強みや才能は、本当は最初から自分の中にあったものです。

けれども、文字にして言葉にして、実際に自分の目で確かめることで、やっとその存在を認めることができる。

私たちは時として自分自身に向ける目があまりにも厳しくなってしまうものだから、こうやって積極的に自分の良いところを見つけていかなければいけないのかもしれません。

 

なんだってそうだけど、人生におけるはじめの二十年でできなかったからといって、自分にはできないと決めつけてしまうのはあまりにも早すぎるわ。

五年後にはなんの苦もなくできるようになっているかもしれないもの。

でも多くの人は、昨日までできなかったことを理由に、自分は一生それができない人間だと決めつけてしまうの。

昨日までできなかったという事実が、今日もできないという理由になんかならないのよ。*5

 

ラーチ(バッチフラワー)

自分の能力に自信がなく、やる前からできないと思って、あきらめてしまっているような人をサポートします。

自分の可能性を信じて行動できるように助け、目標達成に向けて最善を尽くすように、さまざまなことに挑戦するように導いてくれます。*6

 

 

バターカップ(FESフラワーエッセンス)

自分を過少評価したり、自信をなくしている人に。

内面の光や個性を認めることができるようにしてくれます。*7

 


引用:

*1 2020年 株式会社宝島 青山美智子 『猫のお告げは樹の下で』位置No.1099/3703

*3 2020年 株式会社宝島 青山美智子 『猫のお告げは樹の下で』位置No.2622/3707

*5 2012年 株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン 喜多川泰 『君と会えたから…… The Goddess of Victory』ページ108/184

*6  2010年 株式会社河出書房新社 中村裕恵 『医師が教えるフラワーエッセンスバイブル』165ページ

*7 2014年 株式会社実業之日本社 『ブルーガイド・グラフィック giorni別冊 フラワーエッセンスBOOK』50ページ

参考:

*2 2018年 株式会社 主婦と生活社 『私のカントリー別冊 時間を、整える』36~39ページ

*4 Instagram: @hisuikotaro